そのまま小春様と朱夏姉様がいつ敷物の場所まで抱きかかえられてつれてこられる。
「いっしょにたべよう。小春、飯はたりるか?」
「足りなければ帰って食べればよいではないですか。聖夜様がかってきてくださった焼き菓子も持ってきましたし。」
「そうだな。」
聖夜様と小春様はにこりと微笑みあう。その様子は一つの絵のようで思わず見とれてしまった。
ふいにどんと、ひざに重みがあり見やると朱夏様であった。
「まひるさま」
まだ柔らかな栗毛を高めの位置できゅっと結んであるため、ふりむいたときふわふわと髪の毛が顔に当たった。ひざから落とさぬようにそっと抱きしめるとふんわりと得も言われぬ良い香りがして、もっと抱きしめたくなるのを必死で我慢した。
「あら、朱夏が人見知りしないなんて珍しい。きっと小さな子は良い人がわかるのね」
小春様の定義する「良い人」の範囲の中に入っていたことに安堵し、その小さくかわいいらしい微笑みに、恐縮する。
米を小さく握ったものと山菜を少しいただいて、朱夏様と動物の形をした焼き菓子を並べる。
「朱夏姉様、これがウサギ、ネコ、ネズミ、ラクダ、カバ・・・」
「まひるさまはなんでも知っているのですね。すごいです。」
朱夏姉様は朱色の目を輝かせている。その色に魅入られおもわずながめていると、急に目線をそらす。
「しゅなの…おめめ、このウサギさんみたい。」
「え?」
「ちちうえやははうえとちがうのです」
朱夏様は焼き菓子のうさぎを見つめている。
確かに聖夜兄上は黒いし、小春様はスミレ色。
親子で違うなんてことあるだろうか。
「朱夏姉様の目は綺麗です。」
そういうと嬉しそうにぱっと笑い
「まひるさまのおめめもきれい」
と笑ってくれた。
わたしは恥ずかしくなって顔を逸らすと、
「朱夏よ。真昼はこの年で留学に行くほどに賢い。」
「りゅうがく?」
「遠くへ行って皆本以外の世界をしることだ。」
「わー、まひるあにさまはかしこいのですね」
あまり意味が分かっておられないのか、ニコニコしておられたが、「朱夏が6歳になるまであえないだろうなぁ」と聖夜兄上がおっしゃると表情が一変した。
「もうあえないのですか?」涙ぐんだような表情にははっきりと寂しいという思いが記されていた。
「まひるさまとはなれたくありません。」
その朱色の瞳がまっすぐ私を見据えられ、急に胸が高鳴った。しかし冷静な私が水を差す。
「朱夏姉様と過ごすのは楽しいのですが、留学にはいかねばなりません。」
おそばにいたい、というより、この暖かい家族の一員になりたい。
その思いが強いことを自分自身わかっていた。
そんな無礼な思いをぶつけるわけにはいかず口をつぐんだ。
しかし私の気持ちを代弁するように小春様が口を挟む。
「では、帰ってきたら朱夏の兄になってくださればよいのです。簡単なことではありませんか。」
私が「え!」と驚いた声を上げて、聖夜兄上を見、小春様は聖夜兄上と顔を見合わせてから朱夏様に向きなおる。
「朱夏よ。真昼は朱夏の兄にはなれないが、ずっと離れない約束ならできるぞ」
「おしえてください。」
朱夏姉様は前のめりで聖夜兄上の話を聞いている。
ずっと離れない約束・・・?
そんな約束この世にあるのだろうか。
「父や母のように婚姻すればいいのだ」
「・・・!それはめいあんです!」
小さな朱夏様は私の手を握り、ぴょんぴょんと飛び上がり喜ぶ。
聖夜兄上は、あるいは冗談で言ったのかもしれないが、とまどう私に優しく目線をよこすのは、私の返事を待っているからだと解釈した。冗談でもこんなにうれしいことはない。
「婚姻相手とはうれしいです・・・が、私と朱夏姉様では血が濃すぎます。伯父と姪ですし。」
「それは心配いらない。このことはくれぐれも内密にしてほしいのだが、朱夏は我々の子供ではない。わけあってもらい受けた子だ。」
「!そうだったのですか。」
「この子は幼き頃疱瘡にかかった。父母もいない。これからは私たちが幸せにしてやりたい。真昼もそう思わないか?」
聖夜兄上は優しくほほえんでにこっと微笑む朱夏様を見る。
その微笑みは私の冷えた心に一瞬で火をともし、私も朱夏様を幸せにしたいと強く思った。
「わたくしも朱夏様を幸せにしたいと存じます。朱夏様のために必ずかえってきます。」
私はその時人生で初めてほしいと思うものができた。
朱夏姉様だ。
しかし自分の人生にそう、いいことが起こるなんて思ってはいけない。きらきらと輝くような思い出は夢でも良い。家族の愛に飢えた私が留学にいくまえに神がくれた宝玉だと感謝した。
留学前、聖夜兄上から朱夏姉様との婚約契約書をわたされ出立した。それは天にも昇る気持ちだった。誰かとの約束がこんなにも待ち遠しいと思ったことがなかった。
私は父とは違う。
必ずや一度婚約者となった女子を悲しませることはしない。私の人生はあの日から、朱夏姉様と共にある。

3年後
留学中は勉学に専念するため皆本からの連絡は絶たれていたため、13才で留学から帰ってくるときは得も言われぬ高揚感に満たされていたが、何も知らない私は屋敷について絶望に見舞われてた。
聖夜兄上の家族は、思わぬ方向に引き裂さかれていたのだった。
何かの冗談だと思った。
皆本の屋敷全体で私をだましているのだと。
それはあながち間違った見解ではなかった。

確かあれは私が留学から帰った祝いの酒宴だったと記憶している。

久しぶりに見る朱夏様は7才となり、立派な濃紺の絹のお召し物を着て乳母の貞女を従え、朝陽兄上と小春様のおそばに座った。
小春様は白いきれいなお召し物を着て朝陽兄上にもたれかかるように座し、あの溌剌とした美しさはどこにもない。
虚ろな菫色の目は正気を失っているようにも見えた。
朱夏様はあのふわりとした栗色の髪を男らしくきりっとまとめ、朱色の目は強い力を持って朝陽兄上を見ていた。あの自由闊達で奔放な、天衣無縫を体現している朱夏様の面影はまるでなかった。
しかし、私を見て瞳は力を失い、不安げに目をそらす。
私のことを無視したことに多少の怒りも感じたと記憶している。聖夜兄上は死に小春様は朝陽兄上と婚姻し、継父である朝陽兄上との仲がよろしくないとすれば、幼い心から私など容易にはじき出されてしまうことを頭ではわかっていても心では許容できなかった。賢い、と周囲からはほめそやされても私もまだ子供で、心が追いつかなかったようだ。
食前酒として置かれていた酒をあおる。初めて飲んだ酒はのどが燃えるように熱く苦いだけだった。
「おぉ、朱夏は私の酒を拒否するが真昼は酒が飲めるのだな。流石だ、我が弟よ。」
朱夏様にいやなものでも見るかのように冷たい視線を浴びせて、私に酒を注ぐような仕草をするので杯をもって朱夏様の前を通る。朱夏様は朝陽兄上とうまく行っておられないのだろうか。私も朱夏様に怒りが無いわけではなかったから朝陽兄上の手にのる。
「いただきます。」
無礼にも朱夏様の前に座り酒をあおった。朝陽兄上の酒は苦くて妙な香りがする。私の食前酒とは違う酒のようで、小春様は貞女が特別に持ってきたまんじゅうと一緒に同じものをめしあがっている。
「いい、飲みっぷりだ。留学中も良い成績だったと聞く」
「はい、庶子の私を留学させていただいた恩は忘れませぬ」
「あぁ、聖夜兄上は疱瘡で死んだゆえ、私はそなたと唯一の血縁。共にもりたてていこうぞ」
朝陽兄上はどくどくと酒を注ぐ。その言い方は私など意に介さぬといいたげでもあった。
「はい。」
あたまをさげ杯をいただく。朱夏様の傍に控えていた貞女が
「もうお控え下さい。」
というのも聞かず私は何度も酒をあおった。
天井がぐるぐると回る気がして、これが酔ったということか、と自嘲し、でも今なら朱夏様に話しかけられそうだ、と思って後ろをむいた瞬間、
「・・・朱夏様のお姿が、ない。」
今までそこにいたはずの朱夏様の姿が見えない。
「もう酔ったか真昼。朱夏ならだまってそこに座っておる。鷹のような鋭い目を向けてな。嫡男だからと小賢しいことだ。」
朝陽兄上と小春様はくすくすと笑っている。
これは悪夢かなにかだろうか。
ひゅうっと心の透き間に冷たい風が通りすぎ心臓を貫いて鼓動を止めた気がした。
酔ったせいで頭がおかしくなったのだろうか。
うろたえて立ち上がると、私は「厠へ行きます」といって酒宴の途中抜け出した。

しばらくぼんやりして、顔のほてりを抑えるために足をぶらりと軒下に垂らして、細い月を見上げた。
遠くにあるあの月は綺麗に見えるのにあんなに、待ち焦がれ、やっとおそばにこれた朱夏様の御姿が消えてしまった。朝陽兄上に向けるあの燃えるような視線が忘れられない。それに私を見るあの不安そうな顔も。
自分の気持ちが混濁していくのがはっきりわかり、胸を締め付けられる思いがした。
朱夏様。
お会いしたいです。
あの湖の思い出を二人で語りたい。
かなわぬことなのでしょうか。
ふいに廊下から足音が聞こえ、もう酒宴が終わったのかと立ち上がると
「真昼様、お加減はいかがですか?」
そこには碓氷貞女、渡辺綱兄様、藤原頼哉兄様、坂田登紀子姉様がたっていた。

私は渡辺綱兄様の自室にそのまま呼ばれ、綱兄様とその両隣に座る藤原頼哉兄様、坂田登紀子姉様、登紀子姉様のうしろに控える貞女と対峙しあうように向かい合って座っていた。客人が座る位置ではあるものの、4人からは威圧感を感じて委縮してしまう。

「ご用件はなんでしょう。」
疲れていたし混乱している。早く自室に戻りたかった。単刀直入に言う。
「真昼様、よくお戻りになられました。」
綱兄様をはじめうやうやしく4人が頭を下げる。なんの茶番だろう。庶子の私ごときに、貞女はいいとしても、3聖人が頭を下げるなんて。
「屋敷がずいぶん変わっていて驚かれたでしょう。」
「えぇ、朱夏様など性別まで変わっていましたね。」
私がすかさずいうと微笑みをたたえる綱兄様の顔にいら立ちが見え隠れした。
「それは口外しないでいただきたいのです。かん口令を敷き、朱夏様の真実を知る者は我々の手で消してきました。」
消して来た・・?
何を意味するのか分かるだけにおそろしい。
慣れた様子はその行為を正義と正当化する力があるようにおもえた。
「では、私も消し去りますか?」
背中に汗が滴るのを感じながら平静を装った。
「真昼様を消すほど私どももバカではない。今からいうことを理解し、朱夏様の秘密を口外しないでいただきたい。この意味わかりますか。」
「えぇ、姉様が兄様になるなどよほどのことだったのでしょう。協力するかは理由によりますね」
頼哉兄様は苦虫をかみつぶしたような表情だったが、綱兄様は私がいなかった3年の皆本家の歴史を顔色を変えずかたった。