真昼様は朱天楼に躊躇無く入ってすぐ店主に、なにか頼みごとをしているようだった。
朱夏は恐々その後ろを歩く。
落ち着かないように色々みてキョロキョロしてしまう。
「朱夏」
真昼様は俺の方をふりかえり、手招きする。
「ここにサインして?」
真昼様は長い指で書面を指し首を傾げる。
その仕草は既に長年呼び慣れているような打ち解けた雰囲気がでていて、さっきまでお互い呼び合う練習をしたようには全く見えない。
真昼様の器用さにはかなわないなあ。
俺はぎこちなく見えないようにあまりしゃべらないでおかなければ。
目の前には人の良さそうな店主が「おめでとうさん。」とペンを差し出しているのがみえる。
そして、我々の前にあるのは婚約契約書。
「ありがとう。店主。」
差し出されたペンを受け取ろうとすると店主はさっとペンを顔まであげ朱夏にとらせないようにする。
「どこからきた?目が紫色だ。」
「おい、止めろよ、秋良」
隣の真昼様は苛立った声を上げるが秋良とよばれた店主は聞く耳持たない。
「うるさい、邪魔したら立会人にならないぞ。」
「婚約って立会人がいるのか?」
「あぁ、そうさ。お嬢さん当事者のくせにそんなことも知らないのかい。怪しいなぁ」
秋良は俺たちを交互に見やり
「で、お嬢さんどこの生まれだ?」
「大江山」
短く答えると、秋良はペンを顎に持ってきて考えるフリをする。
「なんで真昼と結婚しようと思うんだ?子でもできたか?」
下世話に笑う。
「なぜそんなことを聞く?」
我々にとって一番鋭い質問だ。この質問をかわせなければ婚約は難しいだろうと思わせる生来の威圧感が備わっているようだ。
赤茶けた髪を襟足でむすび引き締まった体格。
声は低いが聞き取りにくいこともなく強い意志を示すように眉はっきり濃い。腕には朱色の入れ墨が施されているが、話術で人の懐に入ってきて明るさにほだされる。
「俺は真昼のことを留学中から知ってる。モテるのに堅物で初恋の相手としか婚姻しないと言っていたんだ。そいつがつれてきたまるで男の子の格好したお嬢さんには興味がある。なんの目的だ?」
隣で赤面し大きな手で顔を隠している真昼様と秋良を見比べる。
「お前に言う必要はない。ただ、わ、私には真昼様が必要だ。」
精一杯言い返すと秋良はキョトンと少年のような顔になった。
「はっはっは。毒気を抜かれたぜ。思い出したぞ。朱色の目姫君。お前が朱夏か。噂は聞いてるぜ。真昼は初恋の相手を捕まえたんだな。おめでとさん。」
秋良は真昼様と俺を交互に見て、俺にペンを渡す。
「・・・おまえ、なんで俺・・私が朱色の目だと知っている?」
王都に来る前に目薬を差したはずだ。たしか店主と同じ紫色になったはずだった。
「その目薬は俺たちが作ってるんだ。昔の故郷で作ってたんでね。その目薬は弱点があってな、瞳孔の色だけは変わらないんだ。よく見ればお前の同行は朱色のままだぜ。」
秋良の言葉に納得する。
「じゃあ、真昼様は本当に私が初恋だったのか!?」
「悪ふざけがすぎるぞ、秋良!朱夏も!言ったではありませんか?」
赤面したようにみえる真昼様に秋良はふふん、といたずらが成功した少年のように笑い、俺に話しかける。
「だってこいつ留学してきたとき子供で秀才だけどどこか抜けてて、寂しがり屋で。よくここにきて、話を聞いてやってたんだよ。朱色の目をしたお姫様のはなし。」
太い指で俺の頬をつつく。
「まさか、朱夏だとは。世間は狭い。あぁ、悪い。独り言だ。まぁ、真昼に泣かされたら、俺がなぐさめてやるからすぐに飯やにくるんだ。地獄の沙汰も金次第ってな」
そういって俺のあたまをその大きな手でがさつになでた。
「秋良、気軽にさわるな!」
「悪い悪い!」
そういって片目をぴっとつぶる。その瞳は優しさと、深い悲しみを丸ごと背負っているような深い森に鎮座する紫水晶のような瞳だった。
「結構だ。第一お主のようなものが金で人が斬れるものか。」
男は笑顔だったが厳しい視線をこちらに向け、片眉をぴくりと動かし、先ほどの威圧感が顔を出す。
「なぜそう思う?」
「だって。・・・すごく悲しすぎる目。」
俺がその無骨な瞳に手を伸ばして届かないので頬をさわると、秋良は突然大声で笑い出す。
「はーっはっは。こりゃ驚いた。この俺を見て悲しそうな、とはな。おもしれー」
「朱夏様、気軽にふれてはいけません!」
そういって真昼様に手首をつかまれる。
驚いて見上げると、氷のまなざしをした真昼様がいる。
聞かなくてもわかる。
超絶不機嫌な真昼様。
「あー、嫉妬してるな!怖い怖い。朱夏、これで婚約成立だ。真昼以外の男に触るときは気をつけな。」
「わかった。ありがとう、秋良」
「秋良、呼び捨てやめろ。それより、婚約証明書2部たのむ。それと、肉そばふたつ。」
氷の眼差しはかわらないが、ふーっと諦めたようにため息をつくと、真昼様は俺の手首から手を離してそのまま手を握られて、見上げる。
「いいでしょう。これぐらい。秋良を触った罰です。」
「…はい」
「朱夏、顔赤くしてかわいいなぁ。ほら、薬草餅だ。今日のは特別ルナカムイでとれた仙湖の仙草いり。あと一週間で祭りだからな。注文出来るまで食べとけ」
秋良はそういうと、お餅がふたつ乗った皿をおいて、俺たちの書いた婚約書をもち店の奥へいった。
結構あっけなく契約はおわり俺と真昼様は店の中の席に腰掛けた。
店とは言っても、屋根と机に椅子があるのみ。
中から往来の喧騒が見物できる。
机には赤い塗装が施され角は色がはげたりしていたが周りの者は特に気にするようなことはなかった。
そのなかの一つにかけ往来を見るとはなしに眺めていた。
布を売るもの、乾いた果物を売るもの、墨や紙を売るもの、異国の者なのか貴重な瑠璃の杯を高値で売っている者もいる。書物を貸し出す台車をひく男の横で黒い髪の3人の女性が肩を出して踊りだし、髭を生やした太った男は腰から短剣を出して貼り付けにした美女の頭に乗った林檎に投げつけている。
飯やの店先には目の色を変える目薬や薬草茶などのめずらしい民間薬を売る女がいてその女がふりかえり、会釈する。紫色の瞳は秋良と一緒だった。

「お待たせしました。肉そばふたつです。ごゆっくり。」
民間薬を売る女が大きなどんぶりを抱えてくる。どうやら、朱天楼も手伝っているらしい。秋良に目配せしている。どんぶりにはいい出汁の香りのする汁と油と動物の肉が細切りになって乗っていて食欲をそそる。
「蕎麦の粉を練って細く切ったものです。このままこのようにすすって食べます。」
真昼様は見本として箸を使って麺をつかみ、ずるずると音を立てながらすする。
俺もあつさに耐えながらずるずるすする。
「あちっ」
「大丈夫ですか?水を貰ってきます。」
真昼様は瞬時に立ち上がると店の奥に進む。
その背中を見送ると、先ほどの秋良とのやりとりを思い出す。
「なんで真昼と結婚する?」
秋良の声が頭の中で反響した。
真昼様は俺がテグル族でも結婚するだろうか?
血の正当性がなければ結婚しても当主になれない。
そうすれば母上はどうなる?
そもそも母上じゃないか。
だけど大切で守りたい人であることは変わらない。このまま朝陽叔父上に蹂躙されたままなんて悲しすぎる。
初恋は所詮初恋。思い出にすぎない。
この婚約は所詮皆本を守る形だけの婚姻。
期待してはならない。
以前真昼様はいっていたではないか。

「真昼様にとって俺は当主になるための駒だろ?」
「策略と思っていたければ思えばいい。」

皆本家は麗星国の身分の高い者たちと同様に正室とは他に側女を置くことがある。
居場所は作ってくれるのだ。兄のように。
それだけでもうれしいじゃないか。
お心までもらえない。
頭ではわかっているが、他の女性と真昼様を取り合うのはどんな気持ちだろう。
真昼様を悲しく待つ日が続くのか。
そんな無情な日々に耐えられるのか。
真昼様がほかの女子の名前を呼び、もしかしたら他の女性と真昼様の子供が一緒に歩いているところを見たりするのだ。気が狂わないか心配だ。
そこまで考え、俺は真昼様を本気で好きになりかけていると自覚した。
俺たちは策略で婚姻するのに。
好きになればお心を貰えないと嘆く日々が始まるだけなのに。
それにしても1週間前出会い、今日出掛けただけの相手だというのに幼い頃どこかで縁があったのだろうか、と思うほど俺たちは気が合っている。
どうしてなんだろう。
店奥から水二つを陶磁器に入れて持ってきた真昼様が席に着くなり、俺は問わずにおれなかった。
「俺は父上と母上の子でない。皆に知れ渡れば、特に三聖人にしられれば婚姻しても当主になれないのに婚約したのはなぜだ?何の目的だ?」
俺の声はひどく不安げたった。

**
「朱夏様の質問に答えるためには私の些末な思い出話をしなければなりません。」
真昼はそう前置きし、懐から古い紙切れを取り出した。
そこには真昼様の名前と俺の下手くそな字がかかれてある。
真昼様は語り始めた。

この思い出はおそらく世界中でただ一人私の心の中にきらりと光るたった一つの思い出である。
今となっては誰とも共有できないが、いくら捨てようと思っても捨てることのできない思い出。

あれは夏だった。さわやかな屋敷からの風が俺の髪を揺らした。
皆本一門は麗星国の収めている地域に入っているため、一夫一妻制である。
身分が高くともこの制度は変わらず、幼いころに決められた婚約者を室に迎える。
皆本の当主である我が父は聖夜兄上、朝陽兄上の母上が急逝したあと、おさびしかだたのであろう、側女に手を付け、俺を産ませた。
側女である母は室に迎えられることもなく、俺を産んで間もなく死んだそうだ。死体は仙湖に捨てられ、墓標もない。私は時折屋敷を抜け出して仙湖に来てはぶらぶらとして時を過ごした。

母に会いたいわけではない。寂しいわけではない。
屋敷の者は大ぴらに俺をいじめることはない。
ただ、ふとした瞬間に聖夜兄上や朝陽兄上との間に溝を感じ、心に澱がたまってゆく。
同じ父親なのに。母親が室に入れてもらえなかっただけでこのように違う。
俺の心は雑巾のように汚れがたまり続ける。すると俺は仙湖にきてその雑巾の汚れを洗いに来るのだ。
仙湖近くに来ると、どうやら先客がいるらしい。
しかも、きゃっきゃとはしゃぐ子供の高い声だ。
帰ろうと思った。俺はだれもいないところにいたいだけなのだ。
そうおもったが、なぜか自分の体よりも太い木の幹に体を隠し、その様子をみていた。
9歳の子供の体を隠す木などそこらにたくさん生えていた。目が奪われていた。
聖夜兄上、妻の小春様、まだ正式にお披露目されていないが嫡女の朱夏姉様だ。
皆本のしきたりで5才になるまで皆への御披露目はしないことになっている。
幼い子供は命を落とすことがあるかもしれないため、いたずらに皆を喜ばせないためだろう。
家族である私やごく近しい人にだけ教えられているが、朝陽兄上は今留学中であるため知らないはずだ。
小春様とも仲がよろしかったからきっと驚かれるだろう。
3人は湖に入って遊んでいる。
「すこし休もう」
聖夜兄上の声がふいに聞こえた。
どのくらいたっていただろうか。足が棒のように固くなり、動かすとじんじん痛みを感じる。今度こそ帰ろう。そう思った。
「いつまでそこにいるつもりだ。真昼、こっちにおいで。」
聖夜兄上が大きな声で呼んだ。
わからないように木の幹にかくれたが、聖夜兄上の足音が聞こえてぐっと肩をつかまれ、瞬間ぐるりと体が回る。
「ほら、つかまえたぞ!」
「わぁ!はなしてください。聖夜兄様!」
「ずっと隠れていた罰だ!」
その声は楽しそうで罰するというより遊んでいるという方が正しいと思われた。