真昼様はまだ頭の中で声が聞こえることを信じられない様子だった。俺も慣れたわけではないが。
「神ではない。テグル族のウサギが発信すれば頭の中で会話ができるだけだ。すこしコツがいるがな。」
「テグル族とは、もしや」
「あぁ、我々はテグル族の生き残りだ。朱色の目が朱天童子様の末裔の証」
朱夏はテグル族が砂漠の遊牧民であり、朱天童子という鬼神を祖としているときいたことがある。
生き残りとはどういうことだろう。テグル族は砂漠の流浪の民。今もどこかに流浪しているのだろうと思っていた。
「確か朱色の目はテグル族の中でもウサギとよばれる選ばれしものだな。かつてルナカムイに住んでいたとは聞いていたが、戦が終わった後どうなったかは知らなかったな。」
真昼様は淡々と冬児様と話をしているが、歴史を習っていない朱夏には解らないことがおおかった。
「あぁ、私ともう一人のウサギがこの能力を使い神の存在を国民にしらしめることを条件に、ルナカムイに住むことを許されたのだ。他国との戦いで武勲をあげれば身分の復帰もかなう。それゆえ王都で暮らすものもいる。」
「神?」
「あぁ、この国には神が必要なのだそうだよ。私には薬のほうが神だ。私は幼いころ重い疱瘡病にかかってな、薬屋の夫婦のもっていた薬に助けられた。」
「薬屋夫婦とはもしや?」
真昼様は俺と同じような態勢で冬児様をのぞき込む。
「察しがいいな。その通り、朱夏の父と母だ。」
「え!」
急に父上と母上がでてきたので驚いて声が出た。
「皆本の屋敷に連れて帰り治療するといわれたが断った。実は薬屋夫婦の腕にはもう一人神になるはずのウサギがすでに抱えられていたし、ここで神のまねごとをするものがいなくなれば薬屋夫婦の腕の中のウサギが犠牲になるだろうと思ったからな。薬屋夫婦に引き取られた子供は死んだことにして、私はここに残ることにしたのだ。」
冬児様は静かに続ける。しかし俺は聞かずにはおれなかった。
「薬屋夫婦の腕の中のウサギってもしかして・・・俺?」
「その通り、朱夏はテグル族だ。」
「そんな、俺がテグル族・・・?だって俺は・・。」
「皆本の嫡男ではない。薬屋の娘でもない。」
「俺は…父上と母上の子供では無いということか。」
だから母上は俺が本当の御子ではないから嫌悪したのだ。
事実がすんなり呑み込めて、いっそすっきりした気分だ。

洞窟の中に外からの冷たい空気が少し入ってくる。
「・・・朱夏よ。今お前は薬屋の男に感謝すべきだ。でなければ今ここに寝ているのは朱夏で私がそこに立っていたかもしれないんだ。」
慰めるでもない言葉に俺はなぜか崩れ落ちた。後ろにいた真昼様がしゃがみ込んで俺を支える。
そうしてくれなければ俺の意識はどこか遠くへ行ってしまっていただろう。
父上と母上に嫌われながらそれでも生きていかねばならないなんて。

「俺は一体どうしたらいい。」
優しい瞳で、先ほどウサギに触られたような感覚が頭をなぜる。
「人間とは不思議なものなのだ。気のむくまま生きられないし、義理だけでも生きていけない。もちろん金のためにも生きられない。不思議だな。実に不思議だよ。私は心を読むこの能力をもってしても人の気持ちの本当は理解できない。」
冬児様には俺の気持ちがわかっているのだ。
俺の中に渦巻く口では説明できない気持ち。
「朱夏よ。人は元々誰でもない。過去に作られるのでない、家や名前が人を作るわけではない。天からみれば命は命。羨んでも悔やんでも、縛られてもならぬ。朱夏は朱夏として生きていくのだ。」
俺はうなずく。
「お前の中にあるゆるぎないものはあるか?」
「父上と母上だ。」
「薬屋夫婦か。ならば、お主のその気持ちだけを信じよ。他人からどう思われても朱夏は朱夏の気持ちを持っている。その気持ちを大事にするんだ。我々は美しく強い朱天童子様の末裔だ。誇りを持て。」
冬児様は優しい。その言葉に我を失いそうな俺は救われた。
「本当に神様みたい」
「だてに祭祀に駆り出されていないだろう?」
冗談っぽくこの体の中に巣くう言葉にしがたい感情を抱きしめてくれた。
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「朱夏は薬屋の男の話が聞きたいんだろう?おしえてやる。私が薬屋の男に再会したのは10年ほど前だ。あの井戸から這い上がってきたのだ。」
俺の感情が落ち着いて、冬児様はまたはなしはじめる。
洞窟から見える井戸は確かに大人一人分くらいなら簡単に飲み込んでしまうぐらいの深さはあるだろう。
奇跡的ではあるが考えられないことではなかった。
「麗星国には仙湖の水脈が生きている。
仙湖は湖底ちかくにいくつか洞窟があり、命綱なしで潜った場合吸い込まれることがあると、登紀子姉様が言っていた。父上は仮死状態で筵にくるまれ湖に沈められ、遺体は上がっていない。」
「だとすれば聖夜兄上は」
「今となっては推測でしかないが、湖底の洞窟に吸い込まれルナ・カムイにたどり着いたのだとかんがえればつじつまがあう。」
「しかし、仙湖は死の湖です。人の生気を吸い取る霊木の根が縦横無尽に張っている。触っていたら生気を吸い取られてしまう」
「おい、それは伝説だろ?俺は霊木の洞に入って過ごすことも多かった。貞女にはめっぽう怒られたけど、無尽蔵の体力だって笑われたりもして。」
「ははっ・・・まったく、ご冗談を。朱夏様には驚かされることばかりだ。」
真昼様はまったく信じてくれなかったが
「聖夜兄上はきっと筵にくるまっていたから霊木に当たらなかったのでしょう。それしか今のところ考えられない。」
といって、笑いあって互いに納得したように頷きあった。
冬児様が思い出すようにぽつぽつと話しかけられる。

「薬屋の男は這い上がってのちしばらく体を休めていた。ルナ・カムイは麗星との戦いで傷ついたテグル族が死を待つ場所。麗星が暗黙の了解で認めた場所だ。誰か一人潜り込んだところでわかりはしない。体が動くようになってからあの男は私の治療のための薬を作った。今も民のための薬を作っておる。」
「民のための薬」その言葉を聞いて信念は変わりないのだと安心した。
冬児様の言葉を受けて真昼様に尋ねる。
「ではあの帳面はやはり父上がここで行った実験の記録なんだな。疱瘡病の薬か。」
「実験の材料の仙草は貴重な薬草です。この近くでは仙湖でしか採取できない貴重なもの。ここにいては入手出来ないのでは?」
「いや、あの井戸は仙湖とつながっている。俺の推理が正しければ仙草もすいこまれてくることがあるかもしれぬ」
父上は心を失っても「民のための薬を作る」気持ちを忘れてないんだ。父上の熱い気持ちに涙が出そうだった。
私たちは父上を探すため、冬児様に別れを告げ洞窟からでた。

※※
太陽はもう真上にあり、真昼の頭上に輝いているように見えた。父上を探すため辺りを見回すが、見あたらず、太陽の光を遮るために片手でひさしを作る。
「父上ー!…一体どかにいってしまわれたんだろう。」
そうとおくへは行っていないはずだと思うがどこにも見あたらない。しかも、探している相手は俺が視界に入らない。どうやって探せばいいんだろう。
いい方法か見つからないまま時だけがすぎていく。
「もし見つけても、根回しも終わってないのにおつれするわけにはいきません。一旦帰りましょう」
真昼様にそう言われ、真昼様を仰ぎ見ると重そうな背嚢を背負って大変そうだ。
「真昼様のことも考えず済まない。真昼様を当主にするのが先だな。」
そういうと真昼様は安心し、胸をなで下ろした真昼様の表情は明るかった。
真昼様を当主にするということは、俺たちはこれから、婚約するということで…。かんがえていたら、顔が赤くなるのがわかる。
「朱夏様、顔が赤い」
真昼様の手が頬をかすめる。
「…日に焼けたかな」
そんな風に照れ隠しした。
「それにしても真昼様はどのように神殿からルナカムイにたどりついたのですか?こっちかな。」
「ルナカムイへ降りる階段があって…あ、朱夏様どこへ?」
俺は真昼様が見やった方角にはしる。
慌てたように真昼様がおいかけてくる。
「そっちは危ないです!」
「なぜですか?俺など上から転がり落ちたのです。それよりマシでしょ」
俺は真昼様の静止も聞かず足早に、真昼様の言っていた階段を目指す。
ここだろう。ひときわ大きい洞窟があったので真昼様をおいて足場の悪い階段を上りながら洞窟を目指す。
「なんだ、これ。」
たどり着いた洞窟には白酒の花が大量にさいていた。
発酵している香りがするため白酒の花と名付けられ、暖かいところで咲く大きな白い花が特徴で標高が高い大江山ではついぞ見かけることはなかった。
「なんで、こんな所に咲いている?」
そう思って見渡すと生暖かい洞窟の中にもぞもぞと動く人影があった。
「きゃ!」
思わず驚いて後ろにのけぞると
「おっと」
と俺の背を受け止めてくれる真昼様。
「大丈夫ですか、朱夏様」
「あぁ。真昼様、これは一体…」
人々は白酒の花の香に満ちたこの洞窟で、花弁をむしり取っている。
手を焼かれたものは足で、足を亡くしたものは手で、手足を亡くした者は口で。
集まった花弁を当たり前のようにグラグラ煮える窯に入れる。熱湯が体に飛び散ってもお構いなしなようだ。
「白酒の花をこんなに。いったい何につかってるんだ。」
朱夏が発した驚嘆の言葉を無視して、真昼様は黙って俺の手をつかみ足早に歩きだす。
「行きましょう。何があるかわかりません。」
まるで私に見せたくないようだ。
しかし、なんていい香りなんだろう。
真昼様の後ろを歩きながら、そばにあった花を数本、布に包んで懐に入れた。母上にお見せしたら喜ばれるだろう。
ひんやりとした洞窟をしばらく進むと明るい外に出た。