黒衣の男は子供の包帯をとっていた。
布団には体から染み出し、包帯から抜け出ていった液体がいくつかしみをつくっている。
黒衣の男は子供の全身に巻かれた包帯をとる。
体が痩せていて骨だけ見えており、小さく見えるがもしかしたら子供ではないかもしれなかった。
足を拭き終わり、腕や背中、陰部をふき、最後に違う布で顔を丁寧に押さえるようにしてふく。
体のいたるところに火膨れができて、破裂しているようだ。
俺は目を覆いそうになるが、黒衣の男は見慣れているのか、気にしないのか、側に置いてある木箱から軟膏を取り出し赤くはれた皮膚に丁寧に塗布する。全身に塗り終わると木箱から包帯を出して緩すぎずきつすぎないよう巻いていく。その仕草に愛情をかんじ、目を背けようとした自分を恥じた。
黒衣の男は振り返る。髭に覆われ、髪は伸び放題に伸びて、手の届く範囲で邪魔だから切っている、というような髪型だった。栄養が足りていないのか、日差しが強いのか、毛先は痛み、すこし茶色を帯びているが元々は黒かったのかもしれない。
俺を見たようなきがしたが、俺がいないように俺にぶつかり、洞窟の中に置いてある机に戻り、日誌のようなものを広げている。
机の上には昔の天秤や古ぼけた匙がおいてあり、そばには小さな蒸留機、さらには精製機や 薬の成形機などもあり、なかなか本格的な薬工場だった。
あの表紙…見覚えがある。真昼様の部屋で見たあの実験帳だろう。
なぜ音が聞こえず、口がきけず、目も見えないのに実験ができるのだろう。
「ここはルナ・カムイ。古代テグル語で鬼の遊ぶ庭という。今は死人か死にかけたものか、病人しかいないし、麗星国の地図は単に砂漠と記載されている。麗星国の恥部だ。」
黒衣の男が口を開かない代わりに目の前の子供が頭の中に話しかけてくる。
通じるだろうか。
朱夏は思い切ってこの声にこたえてみることにした。
「あなたは先ほど話しかけてきたウサギの神ですか?」
目の前の子供は顔を少し動かした。
「そのとおり。だが正体はただの病人だ。私は幼いころすぐ疱瘡病にかかった。対処が遅れ、この通り全身がただれ、筋肉が剥がれ落ちた。かわりに一部の人間に意思が通じる。記憶をほんの少し見ることも。」

疱瘡病・・・父上が研究途上であった特効薬があるらしいが、治療が遅ければ取り返しがつかないほど重篤な症状になるという。
父上自身もこの病にかかり、「取り返しがつかない」と判断された難病。
ルナ・カムイ…こんな辺境で薬を手に入れるなんて出来なかっただろう。命を長らえたのが奇跡だ。
「ウサギよ。・・・今の名は朱夏というのだな。私も朱夏と呼んでいいか?」
記憶を読まれている。驚くことなく朱夏はうなずく。
「あなた様の名は?」
「冬児だ。」
えらく嬉しそうに自分の名前をいう。
「冬児様」
「あぁ、ありがとう。名前を呼ばれるのはなんとうれしいことだろう。みな私のことをウサギとしか呼ばないものでな。」
冬児様は目だけがうれしそうに生き生きと動く。
そのとき朱夏は初めて自分と同じ朱色の目の人間と出会ったことに気づいた。
「朱夏よ。ルナ・カムイに、薬屋の男を捜しに来たのだろう?私たちとは縁浅からぬ者だ。」
私たち・・・。
冬児様と俺に何か縁でもあるというのだろうか。
「やはりこの方が父上なのか。俺は父上のお顔を覚えていないのですが、身だしなみを整えれば朝陽叔父上にも似てるかも…」
「そうだといえばそうだし、違うといえば違う」
冬児様は煮え切らない物言いをする。
黒衣の男は日誌を書き終えたらしく、俺を無視して洞窟の奥に向かっていく。
「目が見えないのだろうか。」
しかしその動作は目の見えないものの動作とは思えないほどすんなりと行われている。
現に日誌をきれいに書き、目の見える俺でさえ歩きにくい洞窟の中をいともたやすく歩いているではないか。
一体どうなっているんだ。
「そうだといえばそうだし、違うといえば違う。」
まただ。遠回しな言い方になんだか腹が立ってきた。
俺は黒衣の男のうしろに着いて行く。そこは外の世界よりも明るく、暖かかった。
いくつもの格子には金網が張られており、なにか生き物がうごめいている。
「ね、ネズミ・・・。」
長いしっぽがちょろりと格子の外に出ていたり、金網をかじったり忙しそうにネズミたちはざわめく。
まぎれもなくネズミだ。こんなにたくさんのネズミを初めて見た。しかも清潔に管理されていて獣臭や糞尿のにおいが強いわけではなかった。

「ここは、飼育室か。」
何とも言い知れぬ、興味がわいた。
男はネズミの生死、体調、体重、餌や水の量など日誌に書き込み、それが終わると注射筒を小箱から取り出してネズミに薬を投与している。
格子の縦列ごとに違う薬を投与しているらしく、薬を確かめながら鮮やかな手さばきで終わらせていく。
ネズミは素早い注射のおかげか何があったのかわからなかった様子でまた餌を食べ始める。
その様子を眺めていると頭の中で冬児様の声が聞こえた。
「朱夏、お前の連れらしき男が奥へ行ったぞ。」
同時に誰かが駆け込んでくる音が聞こえ、体を逆にくるりと向けられる。
「朱夏様!ご無事ですか!?」
大きな背嚢を抱えた真昼様がみえた。
「心配のし過ぎだ。俺はほら、この通り・・」
場違いで間の抜けた声の俺を罰するように真昼様に抱きしめられる。
「・・・あんな状態で飛び出して、心配しないほうがおかしいでしょう」
勢い俺をしかりつける。こんな取り乱した真昼様を初めて見た。
「・・・すまなかった。」
素直に謝り俺も真昼様の背に腕を回す。
背嚢がパンパンだ。行きもこんなに大きな荷物だっただろうか。
「もう勝手にいなくならないで下さい。」
悲痛な叫びにもにた真昼様の言葉にときめいてしまって今度は俺が悲鳴をあげそうだった。

**
黒衣の男がすべての作業を終わらせて岩窟の「飼育室」から出ていくまで俺と真昼様は黒衣の男の後ろに座り、ここまでの話をかいつまみながら話した。
祭壇のうしろにそびえたつウサギから声がして、「北の井戸に薬屋の男がいる」と言われここまで来た事。
洞窟の中に声の主である冬児様と冬児様を世話する黒衣の男がいたこと。
冬児様は話せないが俺と意思疎通ができるということ。

真昼様は終始冷静に話を聞いてくれた。
ウサギから声がしたことも、だ。
いや、むしろ俺が冷静に話ができているのかもしれない。
あのとき、取り乱していたのは俺だし、真昼様が信じてくれないと思い込んだことも俺だ。
なぜだろうとすこし落ち込んでいると、
「気になさらないことです。あの香は吸ったものの神経を乱すのです。朱夏様は多くあの香を吸ったせいで一時神経を乱されたのです。恥ずかしながら、私でさえ前回はとりみだし…。そのせいでこの場をみつけられたのですが。」
落ち着いた声でそう言われ、安心したついでにきく。
「あの黒衣の男は父上らしいが、俺のこと見えない。それでも不思議なことに目も見えないのに実験している。なぜなんだろう。」
「聖夜兄上は心の病ではないかと思われます。
人は聞きたくない、話せない、見たくない、そう思うと体が勝手にそうなってしまう。渡辺綱兄様が私に教えてくれたことがあります。」
「にわかに信じられん。」
しかし、綱兄上が言うなら、本当なのだろうか。
「…わたしもそのような状態になったことがあると言ったら?」
真昼様はふっと厳しい顔になった。
「どういう意味だ?」
「私はおそらく朝陽兄上白酒の花の毒を飲まされました。そのとたん朱夏様の御姿が見えなくなったのです。きっと、男の姿の朱夏様を見ていたくなくて朱夏様が視界から消えたことがございます。実は…つい最近まで。皆の前ではごまかしておりましたが。」
そういえば真昼様にはあの研究部門での昼食で初めて話しかけられたと記憶している。
それまでは目つきも態度も冷たく、無視されることもたびたびあった。
すべては、俺が見えていなかったからだったのか。
真昼様の考えが正しければ、真昼様も俺のことは聞きたくない、話せない、見たくないと思うような存在だったということか・・・?
今までに見せていた好意はいったい何だろう。
やはりただの気まぐれなんだろうか。
そこでハッと気づく。
「では母上が俺をお心を失って俺を見なくなったのも?」
「おそらく、白酒の花の毒の影響ではないかと。」
なんてことだろう。おれは母上からも嫌われていたのだ。
自分の考えが消化できず打ちのめされる。
「何故見えるようになったのだ?」
自分の気持ちを隠すように涙を飲んで聞くと、真昼様がはにかみ、俺の頭に手を乗せる。
「急に仙草の香の香りがして・・・今考えれば朱夏様の着物の香りでしょうね。朱夏様が馬小屋で叫んでいるのが聞こえました。朝陽兄上と小春様に。」
あの時だ。
「母上、父上の思い出を捨てないで下さい、と。」
黒衣の男が肩をぴくりと震わせた気がしたが、ネズミが急にざわめきを始めたせいかもしれない。
真昼様はそれらをちらりと横目で見て、大切な宝物をみるように俺を愛でる。
あなたは俺のことを嫌悪しているのになぜそんな顔をするんだ。
「その時に朱夏様が見えるようになったのです。朱夏様は男の姿に逃げたのではない、戦っているのだ、そう思えるようになったのか。もう、時間がたって効力が弱まったのか、ともかく解毒したようでした。」
「自力で解毒したから俺が見えるようになったのだな。」
真昼様は視線を父上に投げる。

「聖夜兄上がなぜお心を失ってしまったのか、わかりません。しかし私のように何かのきっかけで解毒できることもあるかと存じます。」
「父上、俺を見てくれますか。」
俺は父上の背中に言葉を投げかけた。
父上は当然ながら何も答えない。俺を拒絶するように、実験帳に向かっていた。
俺は真昼様からも父上からも母上からも嫌悪される存在なんですか?

※※
「お主は先日きた皆本の者か。」
失意のまま飼育室から出ると冬児様の声が聞こえて振り返る。どうやら俺の後ろにいる真昼様に声をかけた。
「皆本の者よ、久しぶりだな。」
「・・・・あの時の・・ウサギからきこえた・・・そんな。まさか。」
真昼のうろたえようからこの声を聞いたのは初めてではないと思った。そういえば前回取り乱していた、といっていたな。
冬児は目だけ動かしてうなずいたように見える。
「そうだ。前回おぬしをここによんだのはわたしだ。おぬしは信じなかったがな。」
真昼様は信じられないというように目を丸くしてめがねをあげる。冬児はうれしそうに笑った。
「朱夏は感度が良いみたいだな。作用が強くでただろう?例えばウサギの像が動いたりしたようにみえたり。」
朱夏はあのウサギに触られたような感覚を思い出した。あの時は得体が知れずひどく怖かったが冬児様だと思えば怖くない。
「しかし、どういうことだ?あなたは…神なのか?」