皆本一門はここ麗星国の王都をまもる自然の城壁、大江山の一角に位置する山の中で唯一無二の薬屋を営んでいる。
創薬から調合まで一括管理し、安全な薬を麗星の民に安定供給するため、自然に囲まれたこの場所は薬草を採集するにも創薬や調合の秘密を守にもうってつけの場所である。そのため俺たち一門の者は、許可のない者が簡単に一門より外界にでることのないよう掟で固く禁じている。一門にはかつて皆本の部下たちであった坂田家、渡辺家、藤原家、碓氷家、占部家を含む6つの家ら成り立っている。この巨大組織をまとめるのが皆本一門の当主の中から「聖者」とよばれる唯一の称号をもった者である。
各家の当主が合議制で「聖者」を決める。
皆本一門は総じて代々の聖者たちの教えである「民のための薬を作る」という尊い使命を小さなころから言い聞かされる。試験をうけて学び舍と呼ばれる学校に入門し修行しなければならない。
そこで才能に応じて採取や調合、研究などの部門に振り分け14歳になればみなどこかに振り分けられる。
そして残酷なことに、振り分けられずにいたものは才能のないものとして侍女や手伝いをして一生を終え、能なしとよばれる。
ただ、そんな者はいないといってもいい。
きちんと試験を受けるよう、落ちこぼれないように、という先人の脅しだと思っていた。

「朱夏兄様、お先に失礼いたします。」
占部鮎はすまなそうに俺にそう言い残して目礼すると、弱弱しい背中を見せて部屋を出ていった。同い年なのに鮎が俺を兄様と呼ぶのは皆本家当主の嫡男だからだ。
当主の嫡女であれば姉様を名前のうしろに着けるのが皆本一門のしきたりである。鮎のように庶子出身であれば名前をそのまま呼び捨てされるだけである。
これで俺は40期生の中で行き先が決まらないものとして、小さな部屋にただ一人残っていた。
あと1か月すれば15歳になりおれは行き場を失う。
朝陽叔父上に直訴したが俺の留学も認められなかった。留学とは麗星国の王都にある大学校に行くことだ。
それさえかなわぬとは。俺は・・・どうなるんだろう。
がらんとした部屋のいくつかある文机を前に座っているのは自分だけだというこの状況をどうしようもなく朱夏は床に寝転んだ。
目の先には教師が座るはずの紺色のつやのある座布団が少しほつれているのがみえ、つやつや輝く褐色の桜の幹でつくられた柱の上には先代聖者がかいた書が掲げられている。
落ち掛けた西日が最後の光を届けている書には「民薬」とかかれていた。
「父上…」
朱夏は思わずつぶやかずには居れなかった。
目をつぶると試験を受けて入ってきた一年前を鮮やかに思い出した。
学び舎に合格して初めて教室に入った日。
「「民薬」とは先代聖者である聖夜様が書き残された言葉である。君たちは今からこの学び舍で学び、採取、調合、研究のどこかに振り分けられて仕事をするだろう。しかし、わすれてはならない。民のために精進すること。そせて民に薬を届けることを。」
渡辺綱兄上は何時も絶やさぬ笑顔で我々に言った。
その笑顔は時に不気味に思うほどであるが、彼が怒っている姿もまた見たことがなかった。

その後、自由にみんなと話をしていたときだろうか。
顔も忘れてしまったどこかの家の庶子の女の子の甲高い声がよみがえる。
「朱夏兄様はきっと研究に振り分けられるわよ。だって・・」

・・・だって皆本当主の息子なのだから。

いつだって皆本家は特別である。
坂田家、渡辺家、藤原家、碓氷家、占部家の当主の中から合議で聖者を決めるといっても、皆本当主に何ら問題なければ皆本家の当主が聖者になるのが慣例だからである。年齢を飛び越えて留学し、配属されるものも多い。
それなのに。
「父上、俺は能なしだったのか。」
いつの間にか出ていた涙はい草を編んでつくられた敷物に吸い取られ、俺は紺色の座布団を掴んでいた。中綿がみえていた。俺はなぜか現在の聖者でえある朝陽叔父上に留学を許されなかったが、できることをしようと学び舎にはいった。学び舍で2年間真面目に過ごしていたし、成績はよかったはずだ。特に調合に関してはすぐに調合師になれると言っていた先生もいたほどだった。
しかし、学び舍も後半になると次々と生徒が減って行った。みんなの配属先がきまっていく中、何故自分だけ決まらないのか焦った。

「朱夏は能なしだな。留学も許されず、配属もされないとは」
「留学は聖者や母上様に愛されてないからという噂だが本当は能無しだったのかもな。先代聖者の息子が聞いてあきれる」

学び舍の軒先で行き先のきまった生徒がまた俺のことを言っている。薄ら笑いを浮かべた顔をみるとさけびだしたくなったが必死でこらえて学び舍に足を運んだ。
課題や試験を必死でやった。
しかし、俺には最後までお呼びがかからなかった。
惨めすぎる。


俺は誰の許しもなく、学び舎を飛び出していた。

許可なく外界に出て行くのは懲罰の対象だったが何も考えられなかった。
走って走って。
大江山の中腹、目印は世界を支えていると言われている雲を突き抜けた木、霊木だ。
あの木を目指し、麗星国の者はおろか皆本一門の者でさえ、貴重な薬草を採取するときにだけ入ることを許される森に足を踏み入れる。
立派な角を持った鹿が目の前を横切り、岩場のウサギに出会い、熊が出ないことを祈りながら足を進めた。
足元の岩場には一門の周りでは見られない高山植物がひっそりと咲いている。岩しかないと思われた場所に突如として巨大な霊木が現れ、霊木の麓には仙湖とよばれる青く光る湖があった。霊木に水を供給するためわき出ているような仙湖は底知れぬほど深い。湖の中にはどこかに通ずる洞窟があるとか、地下の鬼の国につながっているなどという噂もある。鬼の国などというのは子供を近づけない戯れ言としても、確かに一門でも仙湖は底知れず、湖の中に生える薬草は命綱をつけてからでないと採集してはいけないと言われている。
俺は仙湖のそばにある霊木の洞にすっぽり入って、後ろに倒れこみ上下に動く肩やあがる息をしずめる。つらいことがあれば木々が残した太古の息吹で俺を癒やしてくれるような不思議な場所であった。

「俺は能無しだったのか、父上。俺には民のための薬は作れないのか。」

誰にも言えない弱音を洞の中で吐き出した。