楽しみのわくわくと、緊張のドキドキを感じながら三階へ上がると、廊下の先からピアノの音が聞こえてきた。
 三階には応接室が三部屋あるが、ピアノが置かれているのは一部屋のみ。
 つまり、第一応接室にいる「かわいらしい客人」が弾いているのだろう。
「これ、きらきら星変奏曲……?」
 なんで左手だけなんだろ……。
 疑問に思いつつ、演奏に耳を傾ける。
「……響子?」
 ――いやいやいや、あいつこんな下手くそじゃねーし、そもそも生きてねーし。
 そこまで考えて、過去に一度、響子とそっくりな音を奏でた人間を思い出す。
 いやまさか、あいつだってこんなたどたどしい演奏をするやつじゃなかったし。でも、だとしたら誰が……?
 半信半疑で誘われるようにドアを開ける。と、見覚えある髪の長い女がピアノの前に座っていた。
 マジかよ――
「おまえっ、ミソノウスイハっ!? ……ピアノ、続けてたのか?」
 彼女はひどくびっくりした様子で俺を見ていた。
 ようやく口を開いたかと思えば、
「あの……どちら様、ですか?」
 八年前と変わらない、鈴を転がしたような涼やかな声で言葉を紡ぐ。
「あっ、わりっ――俺、倉敷慧。小学生のころ、この大学主催のコンクールで会ったの覚えてねえ?」
「――っ!?」
 女は身を引くほどに驚いて見せた。
 これは覚えてもらえてるってことでいいのだろうか。
 彼女の目をじっと見ていると、
「ピアノさんに、こんにちは……?」
 自信なさげに小さな声で尋ねられた。
「それっ!」
 あのとき教えたことを覚えていてくれたことが嬉しくて、思わず声が弾む。
 すると、彼女はピアノの向こうに見えなくなった。
 すなわち、身を引きすぎて椅子から落っこちた。
「おいおい、大丈夫かよ。驚きすぎじゃね? いや、俺も驚いちゃいるんだけど……」
 立ち上がるのに手を貸そうと差し出したが、彼女はその手を見つめるのみ。
 早く手ぇ出せよ。手、差しのべてる俺が恥ずかしいだろっ!?
 そう思って彼女の手を見ると、肌色のテープがきっちりと貼られていた。
「げ……右手怪我してんのっ!? だから左手のみだったのかっ!」
 合点がいくと同時、右手の下に見えた脚が仰々しい様だった。
「はっ!? なんだよその脚っ。まるで事故にでも遭ったような風体だな」
 これじゃ手は乗せらんないか……。
 俺は出した手で右腕を掴み、引き上げるように力を加えた。
 ふらふらと立ち上がった彼女に、
「ひとまず、あっちに移動しようぜ」
 俺は手を貸したまま、ソファの方へと促す。
 応接セットで向かい合わせに座ったものの、彼女は非常に落ち着かない様子でテーブルのあたりに視線を彷徨わせ、視線が合う気配は微塵もない。