陰の小さな呟きにさえ、気付くことはない。
「今までも、これからも。我らがいる限り、主上の手が直接汚れることはないでしょう」
自分の為に、手を汚したことは一度もない。
いつも、誰かのために…………誰かの代わりに汚してきた。
そう。
誰かの身代わりとなって。
御国の為、主上の為とこの身を差し出してきた。
「古の、陰である我らは。もう、闇としてしか生きられぬゆえに」
綺麗な。
それこそ、綺麗事をいってられるような。
甘い世界での生き方を知らない、彼等は。
たった一つの世界しか、たった一本の道しかないから。
どんなに抗おうと、逃げ出そうと。
辿り着く先は、一つしかない。
「もう良い。下がれ」
「主上の、命令とあらば…………」
なんて、憐れな陰だろう。
彼等は矜持をずたずたに引き裂かれながらも。
その痛みを、怒りを殺し、使えるに値せぬ主に頭を下げる。
誇り高き彼等が膝を折続けるのは、それが掟だからだ。
如何なることがあろうとも、主上に従えと掟にあるからだ。
破った者には死の制裁を。
そんな掟に、戒められ、縛られ。
彼等の体を蝕み続ける。
生まれた時から、課せられた運命だから。
どう足掻こうと、もがこうと。
変わらない、変えることの出来ない運命だから。
例え、握り締めた拳から血が滴り落ちようとも。
堪えるしかない。
「…………紅河……紅の娘よ……」
再び闇に消えようとした陰に、主上が呼びかける。
ぴくりと、陰の動きが止まった。
闇には似合わぬ、白い髪が淡く光っている。
「その名は……主上が呼ぶものではありません。主上の前では、只の陰。名などありませぬ」


