ため息まじりで飲んだエスプレッソマキアートは、甘いはずなのに苦味が際立っていた。
「苦そうですね。僕も同じものを頼んだけど、失敗だったかな」
「お疲れさま。そんなことないです、美味しいですよ。あれ? 僕に戻ってる」
「はぁ? 俺、僕って言いました? あっ、あはは……」
「ほら、また言った」
いきなり現れた東川さんに驚くでもなく、私はスムーズに言葉を返していた。
向かい合わせに座った東川さんは、「素のときは俺です」 と言い、少し照れた顔を見せてカップに口をつけた。
「おっ、旨いですね。苦味もしっかり利いてる。眠気が飛びそうだな」
「東川さん、眠いの?」
「俺、寝たの2時ごろだったんで眠いです。深雪さんも昨日は遅かったでしょう?」
「遅かったというか、ほとんど寝てないかも。
帰ったら父が待ってて、玄関の前でガミガミうるさくて」
「ははっ、小野寺社長らしいな。けど、門限を過ぎて玄関前で娘を待つ親父さんって、
ドラマみたいですね」
「でしょう? 私、いくつだと思ってるのかしら」
こんにちは、や、どうも……といった挨拶もなく、私と東川さんは朝の話の続きをはじめていた。
「深雪さん、歳っていくつですか」
「女の子に歳を聞くの? って、もう女の子じゃないわね。もうすぐ35ですけど……」
「充分女の子ですよ。社長にとって、娘さんっていくつになっても心配なんだと思います」
充分女の子ですなんて、恥ずかしくなるようなことを言ってくれるものだ。
顔が赤くなるのを感じながらも、さりげなく 「東川さんっていくつ?」 と聞くと、4つ下ですと言う。
4歳も下か……
2、3歳くらいの違いだろうと思っていただけに、軽い衝撃を受けた。
それでも、ショックを悟られないように、年上らしく後輩に愚痴をこぼすように話を続けたのは、精一杯の見栄だ。
「そうだけど、ウチの父は度を越してるの。
友達と出掛けるのだって、誰と行くんだ、いつ帰ってくるんだって確認するんだから。
私が心配なんじゃなくて、自分の思い通りにならないと気がすまないの。
頑固な父親を持った娘は苦労するんです」
「だったら、親父さんが安心するように、友達の名前とか場所とか時間とか、できるだけ詳しい情報を教えてあげればいいじゃないですか」
「そんなこと、いちいち親に言うことじゃないでしょう」
「言わないから心配するんですよ。たとえ、それが全部本当じゃなくても深雪さんから聞くだけで、親父さんは安心するんじゃありませんか?」
「そっ、そうかもね……」
東川さんの言うことはもっともで、父に話したところでわからないのだからと決め付けていたが、全部本当のことを言う必要はないのだ。
どうして、今までそれに気がつかなかったのだろう。
意気消沈、私の年上の余裕はたちまち消滅した。
「だから、今朝、父に私と一緒だったと言ってくれたの?」
「まぁ、そうですけど……俺が余計なことを言ったので、社長に変に誤解させてしまって、すみませんでした」
「いいえ、ありがとう。正直、今朝は助かりました。でもね、私が彼と一緒にいたって、どうして言わなかったの? 言ってくれても良かったのに」
「深雪さん、俺に、夏祭りで会ったことは黙っててくれって言ったじゃないですか。
彼氏さんのこと、社長には言わないで欲しいってことだと思ったんで」
「あっ、そうでした……私が頼んだわね。ごめんなさい」
「いえ」
年下の東川さんに意見されて恥ずかしくて、名誉挽回のつもりで 「どうして言わなかったの?」 と言い返したつもりだったのに、これでは年上の威厳もなにもない。
ますます恥ずかしくなり、カップを持った置いたり落ち着かなくなってきた。
「でも、俺、つい、おせっかいで、夏祭りで会ったって言ってしまって。
だから、ちゃんと謝ろうと思って」
「私の方こそ、ご迷惑をおかけしました」
そういうことか……
いらぬおせっかいをしたということも謝りたかったらしいが、父に黙っているのは良くない、反発せずに話したほうがいいと私に伝えたかったのだ。
互いに謝る言葉しかでてこず、重い空気に包まれる。
所在無く、またカップを手にした。
数秒の沈黙のあと、あっ、ちょっとすみませんと東川さんが言い出し、携帯をとりだし電話を始めた。
もれ聞こえてくるのは切羽詰った相手の声で、それに、はいはいと真剣に応じている。
「会社に戻らなきゃならなくなったんで、話の続きは、またでいいですか」
「そんなことより、私、車だから送ります。車のほうが早いでしょう」
遠慮する東川さんを引っ張るようにして、私は出口へと向かった。



