喫茶店を出る時、先程のカウンターの中にいた男が「ありがとうございました。」と私の背中に声をかけた。
つまり、私は誰の目にも見えているということなのだろう。
なのに、なぜ、いきなり現れたことに誰一人として気付かなかったのだろうか?
一番隅の席ではあったが、店員なら気付きそうなものなのに……



そんなことを考えながら、私は店の前の道を歩いていた。
ふと、我に戻った時、私はあたりの景色がおかしいということに気が付いた。
景色がおかしいというのは正しい表現ではないかもしれない。
ごく普通の田舎の風景なのだが、私が喫茶店まで歩いて来た道にこんな風景はなかったのだ。
第一、「水晶の丘」等という場所があるのなら、私が尋ねた時に宿の主人が教えてくれそうなものだ。



私は死んではいない。
しかし、ここは先程の町と同じようであリながら違う場所のように感じられる。
と、すれば、私は夢を見ているのか?
それとも、頭がおかしくなったのか?

夢にしてはやけに現実感のある夢だ。
いや、そもそも、夢に現実感があるのがおかしいと考えること自体が思いこみなのかもしれないが。
ただ、細かい所の記憶を忘れているだけで、本当はこういうものなのかもしれないではないか。




(そうか……これは、夢……)




もしもこれが夢ならば、このままこの世界を楽しむのも悪くはない。
そうだ。
好きなだけ楽しんでやろう!
どうせ、目を覚ました時には、その夢の記憶は跡形もなく消えうせてしまうのだから。



そう心が決まってしまうと、不安な気持ちがすべてどこかへ飛んで行ってしまった。
理屈を考える必要もない。
この世界は、私の夢の世界なのだから。
存在しない世界なのだから。
理不尽で当たり前なのだ。



私の目の前に、小高い丘が広がっている。
これが、先程の女性の言っていた「水晶の丘」なのだろう。
どこにでもありそうな、これと言って何の変哲もない丘だった。



(どうせなら、キラキラ輝く水晶で出来ていてくれれば良いものを……)



そう考えると自然に顔がほころんだ。