博士と秘書のやさしい恋の始め方

でも、田中先生は違う。

たとえそういう心配があっても、それでも――先生は私を「沙理」と呼んでくれるのだから。

なのに、私は――。

「やっぱり、気になりますよね……」

「いや、それほど問題だとは思わないが」

「えっ」

あれ? 先生はこのまま「先生」って呼ばれることをそれほど気にしてないのかな? 

「俺もあなたも、ラボでは互いに頭を切り替えて仕事に集中できていると思うし。あの雰囲気でうっかりなどということは考えにくい。もちろん絶対ではないが」

なんだ、気にならないというのはそういう意味で……。

先生、私のことを信頼してくれているんだ。

それに、もしうっかりってことがあっても、そのときはそのときというか……先生なりの覚悟をもってくれているんだ。

なんか……すごく嬉しいな。

でも、そう考えるとやっぱり……私に「先生」って呼ばれるのはきっといい気はしないだろうし、淋しいよね……。

「私、先生のことをなんて呼んだらいいでしょうか……?」

あーあもう、なんか情けないな。こんな聞き方、ちょっと申し訳ない気がするし。

せめて「○○って呼んでもいいですか?」とか聞けたら……あぁ。

「あなたの好きなように呼んだらいい。まあ、プライベートでも“先生”と呼ぶのはできれば勘弁願いたいが」

そうして先生は「そもそも俺は“先生”ではないし」と自嘲気味に笑った。

そりゃあ教員ではないし、医師でも弁護士でも政治家でもないけれど。

それでも、博士の学位を有する田中先生は、ラボで「先生」と呼ばれる要件を満たした立派な先生だ。

けど、だからって――いくら尊敬しているからって、私だってベッドの中でまで「先生」と呼びたいわけじゃない。

「悩みます……」

「あなたは考えすぎるきらいがある」

難しい顔で考え込む私を、先生が愉快そうに笑う。まったく、意地悪なのだから。