博士と秘書のやさしい恋の始め方

「山下さんといると本当に飽きない」

「私だって、先生といるとちっとも飽きません」

やれやれと笑う先生に、私はわざとつんとすまして言ってのけた。

「ところで。山下さん、本当に飲まなくていいんですか?」

「え?」

ふいに言われて目に入ったのは、先生の飲みかけの梅ジュース。

このまえもそうだったけど、先生は運転があるからアルコールは飲めないんだよね。

なのに、私だけ飲むなんて。

「俺のことは気にせずに。せっかくですし、遠慮なく飲んでください」

「いえいえ、遠慮なんてしてませんから」

正直に言うと、しているのは遠慮ではなく自粛だった……。

いつぞやみたいに、酔っぱらって迷惑をかけたり恥ずかしいところを見られたりするのは避けたい。

けれども、私の本音がわからない先生には、やっぱり私が遠慮してるように見えるみたいで――。

「大丈夫。酔わせて襲おうなんて考えていませんから」

「えっ」

あー、先生もこういう冗談を言うんだなあ。って――、ちょっと聞き捨てならないかも? 

襲おうなんて考えていないと??? 

それって、その……。

でも、さすがにそこのところは突っ込めない。

「えっ!? 襲わないんですか!?」なんて、いくら私でも聞けるわけがない。

まして「今日はちゃんと“大したパンツ”はいてますよ?」なんて、鼻息のあらいこと……。

っていうか、私ってばやっぱり考えすぎ? いちいちホントに考えすぎ? 

もう、自分で自分に疲れてきたかも……。

「酔っぱらっても置いていったりはしないし、安心してください」

「はぁ、それはどうも……」

先生が気を遣ってくれているのに、脱力してやぶれかぶれで適当に相槌を打つ。

そんな私に、先生は思いがけない台詞を言った。

「大丈夫。襲うときは酔いがさめるまで待ちますから」

えっ……。

先生の右手が私の左手にそっと柔らかに重なった。

テーブルの下でひっそりと繋がるふたりの手と手。

苦しいほどに胸が高鳴り、どうしようもなく頬が熱い。

今、自分がどんな顔をしているのかわからない。

どんな顔をしたらいいかもわからない。

だから――顔があげられない。たとえどんなに先生の表情が気になっても。

「それじゃあ、一杯だけ……」

うつむき加減のまま、やっとの思いでようやく言葉を紡ぎだす。

「俺、左利きで得をしたのって、人生で今日が初めてかもしれません」

穏やかに笑う先生の隣で、私は上手に笑い返すこともできず、鎮まらない鼓動に困り果てていた。

私、もう二十八歳なのに。いい大人なのに。

これが初めての恋ではないはずなのに、なのに――先生との恋は、まるで初恋のように瑞々しく、心を鮮やかに揺らめかせる。