なにしろ格好が格好なんで、一瞬「え?」っと思ったけれど、紛れもなく田中先生だ。

「山下さん? なぜ、こんなところに?」

「先生こそっ、何していらっしゃるんですかっ」

驚きのあまり口をついて出た質問だったけれど、すぐに愚問であることに気がついた。

何をするもなにも、この場所であの格好をしていて仕事の実験やピアノの練習なわけがないじゃない……。

「あれ? 靖明のお知り合い?」

先生に「あまね」と呼ばれたその男性は、何やら興味津々といった表情で先生と私を交互に見遣った。

「うちのラボの、秘書さんだ」

先生は手短にぼそっと言うと、すぐにぷいと顔をそむけて周さんという男性から視線をそらした。

「おやまあ、これはこれは……靖明の職場の秘書さんとは。僕はこいつの友人で井原と言います」

妙にばつの悪そうな先生とは真逆で、井原さんはなんだかやけに楽しそう。

「いやー、いつも友人がお世話になりまして」

「いえ、そんなっ……。あ、申し遅れましたが、田中先生と同じラボで秘書をしております山下と申します。田中先生にはいつもお世話になっておりまして、本当に」

私がぺこりと頭を下げると、井原さんも「いえいえ」と同じように頭を下げた。

「周は何か用があるんじゃなかったのかよ。さっさと帰れ」

先生はちょっとイラッとした口調で、井原さんを急き立てた。

こういう話し方をする田中先生って、ラボでは絶対に見ることないと思う。

なんていうか――今のその格好といい、話し方といい、ものすごく新鮮。

「はいはい、邪魔者はとっとと帰りますよ」

「うるさい。ごちゃごちゃ言ってないで早く行け」

先生、何もそんな言い方しなくても……。

私は井原さんにちょっと同情しつつ、ふたりのやりとりに苦笑した。

「では、僕はこれで失礼しますね。お話しができて楽しかったです。ありがとうございます」

「そんな、私のほうこそいろいろと教えていただいて。ありがとうございました」

「よろしければまた神社に足をお運びくださると嬉しいです。これもひとつの“ご縁”だと思いますので」

井原さんはそう言うと何故か先生のほうをちらりと見て、それから私にふんわり微笑んで武道場をあとにした。

さて、そして――田中先生とふたりきり。

「山下さんは、結婚式の帰りですか?」

「そうなんです。総務課の新里さんと会計課の藤田の結婚式だったんです」

「そうでしたか」

「先生は……何を? 私、武道のことはさっぱりわからなくてすみません……」

袴姿といえば、剣道とか弓道とか? 

運動部の練習風景で記憶に残っているのはそれくらいなのだけど。

「合気道の稽古をしていました」

「合気道、ですか」

「そうです。といっても、今日は自分の稽古ではなく子どもの部の稽古につきあっていたのですが。昇級審査が近いので予行練習というか、おさらいをということで」

私の勝手な印象だと、田中先生とスポーツって結びつきにくい。

決して先生が運動音痴に見えるわけじゃない。

でも、集団だの連帯だのという言葉は、どうにも先生には似合わない。

大勢で大声を出しながら練習する姿なんて絶対想像できないし。

けど、武道であれば少しイメージできる気がした。

まあ、こうして実際に道着(?)を着ている姿を見たせいもあるとは思うけど。

ラボで見る白衣姿の先生も知的で素敵だけれど、袴姿もすごくいい。

とても涼やかで、凛々しくて、思わず見惚れてしまうほど。

先生の姿勢のよさや、その凛とした佇まいは、武道の鍛錬によるのかな? 

けど、田中先生が合気道とは……。

そういえば、なんとなくひとつ思い出したけど、合気道って確か――。

「合気道って“アチョーッ”とか言わないやつですよね?」

「言いませんね」

先生は私の質問に律儀に答えつつ、くすりと笑った。

どうやら私はものすごく馬鹿馬鹿しいどうでもいい質問をしてしまったらしい。

しかも、真剣に。ああ、恥ずかしい……。

「山下さんは、もうあとは帰るだけですか?」

「はい」

「少し、時間はありますか?」

その言葉に期待で胸が高鳴った。