博士と秘書のやさしい恋の始め方

「大丈夫、誰も来ません。もうみんな帰りましたから」

またまた先生にあっさりつかまった。

「けど、こんなことするのはこれきりです」

「えっ……」

“これきり”という言葉に、心が不安でざわめいた。

「職場では、という意味です」

「あ、ああ……えーと、そうですね」

な、なんだ……そういうことですね。

私、本当に小心者だな。

こんな大胆なことしてるくせに……。

「山下さん」

「はい?」

「明日、じゃなくて……明後日は“だらだら寝る”以外に予定はありますか?」

「先生こそ……そういう言い方だって意地が悪いですよ? あ、予定は“だらだら寝る”ことだけで、変更も可能です」

先生の胸に頬をうずめたまま、私はぼそぼそとへらず口をたたいた。

だって、嬉しくて恥かしくて、照れくさくて……。

「もしよかったら一緒に出かけませんか? 本物の海でも山でも、とにかく仮想世界でなく本物の世界のどこかに」

「はいっ。本物の世界のどこかに」

そうして、明後日の約束をした先生と私は名残惜しくも互いをはなした。

「ところで。備品のチェックは終わったんですか?」

「えっ。ああ、えーと……大丈夫です」

「ならよかった。俺はまた実験に戻らなければ」

「お疲れ様です」

「今日も送ってあげられない」

「そんなことっ、申し訳ないですよ」

「いや、俺が残念という話です」

そんな台詞を何食わぬ顔でさらっと言ってのける田中先生。

けど、私だって出会った頃に比べれば先生のことを少しはわかるようになったもの。

ふと視線をそらした先生の横顔はなんだかきまり悪そうで、ほんの少し照れた感じが可愛くて、私をきゅんと喜ばせた。