カチカチカチカチ ポキリ

「おい」と呆れたような声がしたと思えば、ポカリと気の抜けたような音が直後に続く。

「もう6回目だぞ。時間も芯も、無駄になるだけだ。そろそろ戻って来い」

 紙面に向かってひたすらにシャーペンの芯を出し続けては折る。そんな無意味な行動を延々と繰り返しているのだから、確かに彼の言うことは尤もだと思う。

 何かあったのか? 頭を軽く小突いた拳をほどくと読んでいた本に栞を挟み、彼は頬杖を着いて顔を覗き込んでくる。

「あれ、珍しく優しいね。明日は槍でも降ってくるかな。原始人か武士が使ってたような、殺傷能力抜群の」

「珍しくは余計だ、バカ。そんな冗談を言えるぐらいなら大丈夫かと言いたい所だが、却ってただ事じゃないみたいだな。何、誤魔化そうとしてるんだよ」

「別に、何でもないってば。そっちこそ自分の課題に集中しなよ。はあ、あたしもそっちが良かったなあ。数学のドリルより、感想文のが俄然やる気あるのに」

「おい、話を反らそうとするな。…そういや、昨日だったよな。まさかまた…」

 そこで唐突に彼の言葉が途切れた。「ちょっと、トイレ」と席を立って歩き出すと、ほうっという吐息と追いかけてくる視線を背中に感じた。

部屋を出て扉を閉め、背中を預けると中からボソボソと声が聞こえてきた。

“彼ら”が何を話しているか聞くつもりなどない“俺”は、とりあえず廊下を進む。

 彼らは時々、共犯者になる。本当に稀なことだが今のように共有する秘密をうっかり持ち出しかけた時には、部外者(おれ)は退場せざるを得なくなる。

その度に二人が申し訳無さそうな顔をしているのには、気付かないふりをしている。そして互いに話に持ち出さない。いわゆる暗黙の了解と言うものだ。

 窓は白く曇り、外では北風が吹きすさんでいる。それでも近いうちに教室内のストーブは撤去されることだろう。

 あと数ヶ月で、俺達は校舎(ここ)から旅立つ。

二人は同じ市内の高校へ、俺は一人市外の男子校へ。きっと二人は高校生になっても今のまま、変わらないことだろう。

ずっと一緒、彼の隣には彼女が。彼女の隣には彼がいる日常が、環境が変わっても続いていく。

これでいい加減、諦めが付くだろうな。クシュンと冷え切った廊下にくしゃみが響く。

 端から敵うはずなど無かったのだ。なにしろ彼女が分からない問題を俺に聞いてきたことに嫉妬して、それから必死に勉強して学年主席に上り詰めたあいつに。

 全てに置いて優れていれば、もう誰にも頼る必要はない。自分にだけ、頼ってくれればいい。

邪魔者が付け入る隙など与えはしない。自分の瞳が彼女だけのものであるように、彼女の瞳も自分だけに向けてくれればいい。

 とことん強烈で他人からしたらおののくぐらいの努力と意志をもって彼はやってのけた。しかしそれは言い方を変えれば、危ないまでの執念と執着の結晶。俺には到底真似できない。

 彼女への想いの差は明らかなのに、勝算など全くないことなど思い知っているのに。それでも、まだ。

女々しいな。溜め息と共に、苦笑が零れる。

「おい、全然戻って来ないから行き倒れてるのかと思ったぞ。随分長い散歩だな、心配して損したな」

「早く、教室戻ろう? ほら、すごく寒いでしょ、目元赤いよ。風邪引いちゃう」

 どれだけ、放浪していたのか。振り返れば言葉の意味合いは違えど、彼も彼女も似た表情で俺の元へと早足で歩み寄ってくる。

吐く息は白く、あっという間に空気に紛れて消えていった。彼女への想いも、この吐息のように昇華できたらいいのに。

自分に言い聞かせるように、でもまだ当分は無理だろうという予感を胸に、彼らとの距離を縮めるべく進路方向を転換する。

その先では、俺の大好きな顔が俺の大好きな笑顔で俺を待っていてくれていた。

 春は近い。それまでもう少しだけ、このままで。





アネモネ

花言葉:はかない恋 薄れゆく希望 期待

(叶わない。だけど心のどこかで、すがっているのかもしれない。)