洗面所の鏡に、あの女が映っていた。


ワンピースを身につけ、濃い化粧をしたあの女だ。


同じ格好をした剛は、小さく笑い声をあげながら鏡にもたれかかった。女も笑みをうかべながら、こちらにもたれかかってきた。薄いガラス越しに、くっつきあっているような気分だった。


「会いたかったよ」


そう言ってから、いったん鏡をはなれると、声色を変えてこうつぶやいた。


「わたしもよ」


鏡の向こうから、女が話しかけていると思いこみ、剛は幸福感に包まれた。


そのあと何度も声色を変えて、女と会話をかわした。


夢の中での女との思い出について、じっくりと語り合った。


自分が演じているという意識は当然持っていたが、それでも恋い焦がれた女との会話は楽しかった。


ふと思いついて、剛は言った。


「そうだ。おまえに名前をつけないと」


鏡の中の女が首をかしげた。


「名前?」


「そう、名前。おれがおまえのことを、どう呼ぶのかを決めないとな」


「どんな名前にするの?」


「そうだな。何にしようか」


剛はうつむいてだまりこんだ。すると、それを待っていたかのように、頭の中にふたつの漢字がすうと浮かんだ。


「切美だ」


「・・・・・・きりみ?」


「そう、おまえの名前は切美。美しさを切り取ったような姿という意味で、切美だ」


「わたしの名前は、切美」


鏡の中の女、いや、切美は、両手を頬にあてて微笑んだ。名前をあたえたことで、存在感が増したような気がした。同じしぐさをしながら、剛はうっとりとそれを見つめた。