お父様とお母様は私を有名な大学の付属幼稚園へと入園させた。
不自由のない生活をしていた。
とても大きな会社の社長令嬢や、跡取りなどが通う学校だったけれど、小さかったこともあって、息苦しさを感じたことはなかった。
初等部にあがっても、それなりにうまくやっていた。
勉強は明らかに高すぎる水準で行われていたが、
一歩も外に出たことのない、箱入りとして育てられていた私にはわかるはずもなく、それはそこに通う生徒全員に共通することだった。
中等部に上がると、周りの人間関係はぎくしゃくしはじめた。
小さな会社の子供は、大きな会社の子供の顔色を常にうかがい、気を遣うようになった。
―――その時点で、私たちは対等ではなくなった。
不自由のない生活をしていた。
とても大きな会社の社長令嬢や、跡取りなどが通う学校だったけれど、小さかったこともあって、息苦しさを感じたことはなかった。
初等部にあがっても、それなりにうまくやっていた。
勉強は明らかに高すぎる水準で行われていたが、
一歩も外に出たことのない、箱入りとして育てられていた私にはわかるはずもなく、それはそこに通う生徒全員に共通することだった。
中等部に上がると、周りの人間関係はぎくしゃくしはじめた。
小さな会社の子供は、大きな会社の子供の顔色を常にうかがい、気を遣うようになった。
―――その時点で、私たちは対等ではなくなった。