ディスプレイに寺岡さんの電話番号を表示しながら、とうとう掛けられなかった携帯を握りしめて、僕はベッドの上で寝落ちしていた。目覚めた時、掛け布団は僕の下に敷かれ、服は寝間着じゃなくて幸村さんと晩御飯に行って帰ってきた時と同じ服だった。携帯の時計を見ると明け方の5時だった。

 寺岡さんに相談しようかどうしようか僕はまだ迷っていた。なぜ迷っているのかといえば、僕の現在までの経験によると、困った時に誰かに助けを求めると、余計物事が紛糾するような傾向があり、それを考えると地道に独りで対策を考えたほうが無難だとどこかで思っているからだった。

 人に何かを頼めば、その人が僕に関係してくる。相談とは、僕が進んで誰かに関わることを意味する。当然それは良くない結果となって現れる。なぜなら、僕が関係を求めたということは、その人に「関わっていいんだ」という許可を出すようなものなのだ。寺岡さんは僕の死神の機能をわかっているといえばわかってくれているので、今起きていることのの現状の説明はしやすい。だが、今起きている事自体が人を油断させる可能性をはらんでいる。相談者が“僕が変わるのではないかという”よくある期待を持つ。それは最も危険なことだと僕は思った。

 目覚めたままの格好で、僕は寝返りも打たずに引き続き考えることを再開していた。時間を掛けてゆっくり考えればいいということではないのだ、と、僕は今の状況から自分を戒めた。明日、また自殺の遺体が法医学教室に運び込まれてくるとしたら。僕はその時どうすればいいのか全くわかっていない。この精神状態でまた幸村さんに抱かれることになるのか、僕がそれを求めるのか、求めていいのか、断るのがいいのか、どっちにしても幸村さんにどう対処すればいいのか、わけがわからないなりに決定していなければならなかった。

 それが対症療法でもいまは最優先になる。根本原因に手を付けるのを根治というが、それがどれだけ有効な治療法なのか検証しないまま採用するわけには行かない。

 明日、そうなったら。

 とにかく今はそれを考えよう。僕は手の中の携帯を枕元に置いた。腕を動かした瞬間、穂刈さんのくれた傷が疼いた。鎮痛剤が切れてきていた。