次の日は土曜日で休みだった。遅くまで寝ていた僕は、起きたあと、血まみれの掛け布団カバーをバスルームで洗っていた。消毒には使わないが、オキシドールを血痕にかける。少し置くと血痕が薄くなってくるので、更にオキシドールで追い打ちをかける。何度か繰り返すと色がほとんど見えなくなる。その後水で洗い流す。血液は温水だと凝固するので、水洗いが基本だ。絞るのに力を入れると腕と大腿の傷がズキッとした。全身が少し熱っぽい感じがした。それから洗濯機で他の洗濯物と一緒に洗った。全自動に洗濯を任せている間、僕は痛み止めを飲むべく遅い昼ごはんを食べて、食後に服薬した。電子音が鳴り、洗濯機が仕事の終了を知らせてきたので、僕はバルコニーに出て洗濯物を干した。姿勢によりあちこちの傷がその都度痛んだ。

 洗濯物を干し終えて、起きているのが辛いので、またベッドに横になった。薬が効いてくるまでの辛抱だ。その間、ぼーっとしながら昨日の幸村さんの言葉を反芻していた。

(死んだら悲しむ人がいるから死ねない、それも立派な執着だぞ)

 考えみたら、そうやって僕は数人の人間から故意にこの世に繋ぎ止められているわけであって、僕の死を悲しむ人を人質にされて生きているようなものだった。そんなことも隆から“お前は物を壊すのが好きじゃないから、自分の身体を壊せるとは思わねぇ”と言われて、結局自殺は出来ないし、しないと思ってここまで来た。

 それなのに、あそこまで僕は心の底ではそれを羨望していたのかと今回のことで知る。こんな激しい感情が僕の中にあることに違和感すら感じる。どこから来るんだろう、この母や隆の、僕に死なないで欲しい気持ちを忘れるくらいの羨望は。チャンスを逃したことへの怒りまで感じていた。こんな怒り、過去に感じたことがあっただろうか。

 興味がないはずの生きた人達に、生きた世界に繋がれていると言ったら、彼らは怒るだろうか。いや、僕のことを分かってて、それでもいいと言われるんだろう。最終的に言えることは、僕に生きていて欲しいという欲求を僕が理解しないことには、その気持ちはわからないということだ。僕を好きっていうその気持ちを…

 それがまったくわからない。

 ベッドに寝転がったまま、手の平を目の前にかざす。いったい何を愛しているの? この受け身の身体? 死んでいる心? 眼鏡? 愛するって…なに?

(君の解剖が好きだ)

 そうだった。そういう変な人もいる。

(君の解剖は、君自身だ)

 僕の解剖は…死と一緒に遊んでいるだけだ。内緒だけど。それを好きって言われるなら…

 つまり幸村さんも死が好きなのか? あんな生命力の塊のような人が? ありえない。それではやはり僕の仕事っぷりが好きなのだろう。それはいまのところ僕を好きな理由の中ではわかりやすいものではあった。死んだら検挙率が下がるから死ぬな、というのもわかりやすい。でも社会正義のために僕はこの仕事をしているわけじゃない。