けど、足を止めなきゃよかった。
「……マリア……」
この世で一番いとおしい人の名前を呼んだ彼の顔は、幸せそうに笑みが作られる。
ドン、と胸が殴られたようなショックを受けた。
(……夢の中でも……あなたはマリアさんと会ってるの)
決して私にはくれない、砂糖菓子より甘い瞳で見つめて。
かつて、彼の恋人だったマリアさん。一時とはいえ彼の全てを独占した人。
(……ずるい)
嫌な、とても嫌な自分が頭をもたげそうだ。必死に押し殺してきたどす黒い感情が、傷つき脆くなった蓋を今にも突き破りそう。
(今……すぐそばにいるのは私なのに!)
それ以上彼に愛しげな声を上げさせたくなくて、私は自然と踵を返して高宮さんの傍らに膝をつく。
……綺麗な顔を間近にして緊張しながら、そっとその唇に触れてみた。
「……呼ばないで」
相手が目覚めてないと知ると大胆になるなんて、どれだけ小心者なんだろう。
けれど、彼が目覚めている時には決して言えない言葉を選んだ。
「お願いだから……彼女のことは言わないで。もっと……ちゃんと私を……」
見て、という前にハッとした。いつの間にか手首を掴まれていたから。
「マリア……?」
確信のない高宮さんの小さな声が、私の呼吸を乱した。



