指示されるがまま、書類にサインをし印鑑を押していく。

 今日一日で、自分の名前や住所を何回書いたか分からない。書くという動作で軽く疲労した指先を通して、契約を結ぶという行為の重さを知った。

 芹澤さんが素早くも丁寧な手つきで私のサインした書類をしまう。

 紙川出版の名前が印刷された大型茶封筒にサインされた書類が収められたのを見て、私は人生の新しい第一歩を踏み出したんだなと、しみじみ思った。


 世の中の作家さん達は、こういう荘厳なシーンを通過して活躍している。

 漫画家、小説家、声優。みんなみんなすごい人達だなぁ、と、今までは遠い世界の人を眺める気持ちでいたけど、

「この契約をもって、戸塚さんもプロの仲間入りです。足並みをそろえて一緒に頑張っていきましょう」

 芹澤さんにそう言われ、私は自分が生まれ変わったような気分になった。有名なクリエーターさんは、もう、雲の上の人じゃない。同じステージに立つ仲間でありライバルになるんだ。

「契約書を書いていただいたばかりで何ですが、さっそく戸塚さんにお願いしたいお仕事があります」

 座り直し、芹澤さんは私をまっすぐ見つめた。

「公式ではまだ発表されていませんが、再来年公開予定の女性向け劇場版アニメの製作が、現在進められています。戸塚さんには、そのアニメで使用するキャラクター原案をお願いしたいのです。締め切りはまだまだ先なので、ゆっくり構想を練っていただけます」
「劇場版アニメ……!?いきなり、映画の原画製作をするんですか??私が??」

 信じられない。私みたいな駆け出しの新人イラストレーターがそんな大きな仕事をもらえるなんて。雑誌の片隅に挿し絵を入れてもらえる所からスタートだと思っていたから。

 芹澤さんは私の反応を予想していたらしく、クスリと誇らしげに笑った。

「肩書き上、あなたは新人イラストレーターです。しかし、実績はプロ並みにある。分相応の依頼ですよ」
「たしかに、たくさん描いてはいましたけど……」
「あなたは依頼をこなせます。確実に良い物を形にできる。私が保証します」

 自信に満ちた芹澤さんの表情に私は困惑し、同時に、高揚感をも覚える。嬉しいのに逃げだしたいとも思う。ハッキリしない心持ち。

 意気揚々と、芹澤さんは仕事の詳細を述べる。

「このアニメの原作は女性向け恋愛小説です。しかしながら、アニメ化に伴い従来の女性ファンだけでなく新規の男性ファンを増やすことを目的に製作を進めています。

 そこで、ファンタジー要素の濃い設定を生かし、劇場版では原作に少ないバトルアクションシーンを増やします。戸塚さんには、作中に登場する女性キャラクターを男性受けするように描いてほしいのです。もちろん、女性ファンの気持ちを惹き付ける眉目秀麗な男性キャラクターの存在も忘れてはいけません」