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羊舎の作業も終わり、リヒルトも外に出れば、ラズと追いかけっこをしているトトがいた。

「きゃー、きゃー」

広大な牧草地を使った鬼ごっこ。しかして、トトの悲鳴が真に迫っていることから、本気でラズから逃げているのだろう。


最初は遊び。次第に、ラズに吠えられ恐怖し、あの様子。そうとは知らないラズは、喜々としてトトを追い回していた。

案山子の仕事そっちのけだが、あれだけ騒いで走り回っていれば、カラスも寄り付かないだろう。

投げ捨てられたであろうフォークを持ち、指笛を吹く。

急停止したラズがリヒルトに近づき、駆け寄る。

「リヒルトさああん!」

続けざま、何故か、トトまでリヒルトに駆け寄って来た。

飛びつく肢体を避ける反応が遅れ、そのままトトの体を支えてしまう。

些細な触れ合い。
思えば、人肌に触れたのはいつぶりかと、リヒルトは振り返る。

「うぅっ、ラズがーっ」

いじめられた子供が親にすがりつく図であることを自覚し、リヒルトの手はトトから離れる。

「吸血鬼なんだから、飛ぶなりして逃げればいいのにねぇ」

その羽は飾りかと問うわけだが、動くあたり使えるのは間違いない。

ただし、“それなりに”とつくのは、トトが実際に飛んでみせたからだ。

「こ、これが限界です!」

という返答は、リヒルトの目線より、やや斜め上から。地上より1メートルほどしか上がっていない。

バタバタとフル活動する羽の全力がこれであり、持久力もないようだ。息絶え絶えに、花びらのようにユラユラ落ちていく。


「た、高い所からなら、ぜえぜえ、もっと、綺麗に、飛べるんです、が、ぜえぜえ。高い所から高い所に、飛び移るのが得意です」

モモンガを連想したのは、言うまでもない。

考えれば分かることだった。
羽毛ではなく、皮膜で形成された羽は『飛ぶ』というよりは、風の流れに『乗る』ことで空中を飛行出来ることが出来る。

蝙蝠は蝙蝠で、独自の飛行方法を用いるが、この頭の弱いトトが意識してそれをやっているとは思えない。

飛べないならば飛べないなりに、魔術を行使する吸血鬼も見たことはあるが、それほど出来た吸血鬼ならば虐げられることもなかったであろう。

「とことん、弱者だねぇ」

肩で息をするトトが立ち上がる。
ーーリヒルトの手を持って。

「……」

何をしていたのか、把握しかねた。
自身の両手はフォークを持っていたはずなのに、いつの間にか片手が伸びている。

トトに向けて。
手をさしのべていた意味が、分からないまま。

「ありがとうございます」

そんな、“納得してしまう理由”が目の前で笑ってくれた。