床に広げたアルバムからは、幸せに流れていった季咲良家の時間が見えてくる。

そうした写真には覚えがあったり、まったく覚えていなかったり。

けれど、どの写真からもそのときどきの香りや空気を感じることができ、きっと触れたであろう桜の花びらの感触までもが伝わってくるようだった。

それにしても大量の写真が収められている。

私はページを繰る手が止まらなくなって、次から次へとアルバムを引っ張り出しては床に広げて、写真からあふれる思い出の時間に浸っていた。

と、そのうちに、あることに気がついた。

何かが足りない――― 。

自分の写真ばかりを追っていたせいですぐには気づかなかったが、大事な何か、当たり前の何かが足りない。