宮本武蔵の悪い噂の出ところは、

佐々木小次郎の勤めていた細川藩の小物の書物が原因だ。


何故小物と言うのかと言うと、

細川藩の当主と宮本武蔵は決闘以来非常に仲が良く、


藩主の命により、武蔵の悪口は禁止とされた。

上の連中は天才佐々木小次郎を殺した憎き武蔵だったが、


藩命に従い命令を守った。

だが、小物は上との繋がりが薄く、

本を書いて武蔵の悪口を広めた。

武蔵は卑怯者で、60回以上の決闘に勝ったのは一切嘘だ。


この嘘を信じた大衆もいたのだ。

後年武蔵は細川藩に勉め、

剣術の師範となる。これは佐々木小次郎と同じ役職。


違うのは、政治的な面にも少し関わった事と、

藩の主人に無理に頼まれて是非我が潘に来てくれと言われた事だ。


だが、怖い武蔵より、
武蔵の本質を見抜けない小物は美しく、洒落た小次郎の方が人気があったのだ。


武蔵は一般の大衆には理解されなかったが、

道を極めた人々には熱烈に支持された。

一般には化物で妖怪。
知恵者の間では、剣術の達人であり、

抜群の知恵者であり、
政治家であり、

芸術家でもある。

そう思われていた。

誤解による賛否両論。
それに無数の敵。

これらが、小沢一朗と宮本武蔵の共通点である。