「お兄ちゃん! 今度創ちゃんを殴ったら、礼奈はお兄ちゃんと絶交するから!」

「……はっ? 絶交?」

「一生口をきかない。メールもLINEもしない。それでもいいの!」

「……れ、れいな」

 敏樹が眉をしかめて礼奈を見た。礼奈に睨み返され、あの敏樹が一瞬怯んだ。

 礼奈に言い返せない敏樹は、怒りの矛先を俺に向け、血走った目で俺を睨み付けた。

 超……怖い。

「……創、今日のところはこれで勘弁してやる。これ以上、礼奈に手を出したらその時は容赦しねえからな」

「わ、わかってるよ。約束守ってるだろ」

 俺の瞼は金魚鉢の出目金みたいに腫れ上がり、目は右往左往している。

 だけど、この状況を把握して欲しい。
 誘惑してきたのは、礼奈なんだ。
 ハグしたのは俺だけど、殴ることはないだろう。

 敏樹は礼奈に叱咤されよほどバツが悪かったのか、ふてぶてしい態度のまま部屋を出て行った。

 足でドアを蹴飛ばし、バタンッと大きな音をたてドアが閉まる。今にもぶっ壊れそうだ。

「……まったく! なんなんだよっ! アイツは鬼か、閻魔大王か」

「ごめんね、創ちゃん。傷は痛む?」

 痛いに決まってるだろ。
 気絶しそうだ。

 礼奈の細い指が俺の唇に触れた。
 礼奈の指先が俺の血で染まった。

 礼奈はティッシュペーパーで、俺の血を拭う。

「いてて……。触るなって……。手が汚れるだろう」

「汚れるくらい平気だよ。創ちゃん、ごめんね……。本当にごめんなさい」

 今にも半ベソ状態の礼奈が、俺に抱き着いた。

 礼奈をハグしたのは本当だし。約束を破ったのは俺だ。

 俺に抱き着いている礼奈の背中に、そっと手を回す。

 女の子の体って、風船みたいにやわらかくて、フワフワしていて気持ちいいな。

「創ちゃん、氷で冷やす? 瞼腫れてるし、顔もきっと腫れちゃうよ」

「そうだな。あいつ、ゴリラみたいに馬鹿力だから」

「待っててね。氷持ってくるから」

 礼奈は俺に抱き着いていた手を解き、俺の切れた口角の横にチュッてキスをした。

「……へっ?」

「エヘッ……。消毒だよ」

 礼奈は恥ずかしそうに笑った。

 しょ、消毒?
 そ、そうだよ、消毒だよ。

 今のはキスじゃない。
 だからノーカウントだ。

 礼奈に消毒してもらえるなら、敏樹にもう一回殴られてもいい。

 俺は痛む頬を擦りながら、デレデレと目尻を下げる。

 敏樹に殴られた左の頬は、すでに腫れ上がり熱を帯びている。

 でも礼奈にキスされたところは、もっと熱を帯びている。

 『やったな』欲望が勝ち誇った顔で、理性を見下す。

 『バカバカしい。あれは不可抗力だ。こちらからキスしたわけではない』理性が『そうだよな、創』と、俺に念を押す。

 敏樹にボコられて、なんて幸せなんだ。

 『コイツはアホか』
 『アホではない。アホはお前だ』
 脳内で繰り広げられる欲望と理性のバトル。

 俺、アホでもいいよ。

 我慢なんて、ムリムリ。
 だって、礼奈が可愛いんだもん。