若大将は飛び出すと、植え込みの中に消え、数分後に出てくると、元気一杯に少年の回りを飛び跳ねた。どうも単なる生理現象だったようだ。

車の中でさびしそうに鼻を鳴らしている若大将に、すぐ戻ってくるからね、と言い残し、僕らは近代的な図書館に入って行った。

ここにはレコード鑑賞室もあって、ヘッドホーンを着用すればベェートーベンだけでなく、コブクロやサザンなどの最近の曲も聞けた。

僕は医薬ジャーナルを借りて来ると、“平原綾香”の『Jupiter』を聞きながら、７年間ブランクになった最新医学の勉強を始めた。

その間の医学の変革は予想以上のものがあった。エイズなどという新しい病気も現れていたし、癌の診断薬にも格段の進歩が見られていた。

最新号の目次を見ていると、“老人性痴呆症（アルツハイマー病）の権威　谷山東都大学教授、痴呆症の発病メカニズム解明か!?”という記事が飛び込んできた。

僕が９年前に勤めていた研究室の教授だった。
貪るように読んだ。

それは素晴らしい研究だった。

脳神経細胞に栄養を補給しているアウトロサイト細胞に異常がみられると、神経成長抑制因子（ＧＩＦ）の分泌が不足することを突き止めていた。
そしてそれが原因で神経細胞が老人斑（アミロイド・βタンパク）に変質し、老人性痴呆症（アルツハイマー病）に発展するのではないかという仮説をうち出していた。

教授は黙々と研究を続け、着実に成果を出しているようだった。…うれしかった。

そして、あの頃のことが思い出されてきた。


―――９年前、僕（板倉達郎）は東都大学の薬学部生理学研究室で無給助手をしていた。