その時、犬が頭を下げ、カマキリに友達になろうよと言うように近付いた。

カマキリはオーバーにあとずさると、足早に去って行った。

「おじさん、ありがとう」

「お礼言われるようなことはしてないよ」

少年はペコちゃん人形のように微笑んだ後、机上の本を指差した。

「今日中にこれ調べないと、ケンちゃんに義理が立たないんだ」

らしくない科白(せりふ)に僕は含み笑いを浮かべ、そしてその昆虫図鑑を見て、

「恩義は大切にになくちゃな」

と、言ってから犬に向き直った。

「この子はいい顔してるよ。おじさんの飼ってたのも紀州犬だったが、鼻が黒と肌色のまだらだった」

と、首筋から胸をなぜていたら、催促するように寝転がり、お腹を見せた。

「こいつのほうが数倍二枚目だよ」

「ありがとう。…でも不思議だな?若大将は馴れてないとお腹は見せないのに」

若大将は話を理解したようにサッと立ち上がると、尻尾をさわっている少年の方を向いた。
そして素肌の腕をペロペロと舐めはじめた。

「おじさんは犬がとっても好きだから、きっと若大将にはわかるんだよ」

「ふーん。そんなもんかな」

少年は曖昧(あいまい)に頷(うなづ)いた。

白いリノリウムの床に入口からここまで一直線につづいている足跡が、僕は突然気になりだし、持っている雑巾で拭きはじめた。