壁の絵画 家には、私が物心ついた頃から・・・
絵画がある。その絵を見るたびに心癒され慰められてきた気がする。そんな絵画だが・・・私達は見て鑑賞した気持ちになっているに違いない!!世界では何枚もの絵画が溢れ、それ達もきっと見て眺め鑑賞されてきたことだろう。そして、人の心に入り込む何かがあり、数々の人の心を癒し続けてきたのだろう・・・私達人間は、絵画を眺めてきた側のように思えるがそれは、違うかもしれない。絵画は時には海を渡り山を越え空を飛ぶ…
絵画は何も語らないかのように思えるが…すべてを見てきているのだ…時には有名な絵画は盗難にあい・・・その現場を見てきているわけで絵画はすべてを知っている訳である。色々な人との関わり人間の弱さ愚かさ…強さ…美しさ…色々な表情を見てきたに違いない。あるときには仲の良い家族の団欒の風景…そしてある時には思春期の反抗期現場…あるときは夫婦喧嘩の時間、音楽家の家ならば数々の曲も耳にしたに違いない…絵画の数だけいや、それ以上にそれぞれの人生を見守ってきたに違いない!!それは何故なら時代である。絵画は歴史を語り続けているのだ。これから何十年…何百年…何千年…の時を越えまた、様々な歴史を目の当たりにしてゆく事だろう。モナリザで言えば…その人の心情で…絵画が怒っているように見えたり、微笑んで見えたり…絵画は時には人の心を読み…時には悲しく時には晴れ晴れしく映し出してくれるのだ。実に不思議だが面白いものでもある。心の癒しは…絵画に吸い込まれるように時が経つ事がある。時間を忘れてしまうようだ。気づけば何時間も同じ絵画の前で立ち続けたことがある。そして何度もその美術館に通ったこと!もあった… 都会に出てきた私は…田舎が恋しく
…帰る事が出来なかったあの時代…電話も出来なかったあの時代…落ち穂拾いをみることで…田舎の田植えを連想し心癒されていたのだ。そこに行けばその絵画がある…そこに行けばその時代の家族に会えるようなそんな感覚だった。毎週のように美術館に通った。絵に何かを語るかのように…きっとあの絵画は今もあの場所でたくさんの人の語りかけに…耳を…心を…傾けているに違いない!!そうであって欲しい…何年ぶりかに行ってみたい気もする…何年ぶりかの絵画は私をどのようにして迎えてくれるのだろうか?あの時、あのままだろうか?それとも、また新たな発見がそこにはあるのだろうか?いつも通っていたために迎えに来てくれる人は…連絡しなくても私がどこにいるのか知っているぐらいだった。それほど落ち穂拾いは私の心の名作である。今はネットで検索すればすぐに絵画を目にする事ができるが…あの時代は美術館に行く事がまた良かったものだ。あの絵画の前で…涙をこぼしたこともあった。そこにはすべてがあった。家族の優しさ暖かさ…時には厳しさ…笑顔が…あの絵画は、何年もの私を見てきてくれているのだ。あの絵画は心の奥の奥に入り込、心の傷にバンドエイドを貼ってくれました。 これを書いた作者はまさかこんな見方をされるとは思っても見なかっただろう。絵画の前で号泣されるとは~絵画の前で…二時間もたたれるとは…絵画の前でニヤニヤされるとは…色々な日がありました。色々な表情を見せてくれる絵画でした。また、私の色々な表情を見てくれた絵画でもありました。そんな絵画貴方にもきっと心の絵画が…あることだろう…そして、その絵画は今後も貴方の心を温かく見守ってくれることだろう…貴方の歴史と共に…