「柏木(かしわぎ)先生……」
今までなら、その問いかけに答えてくれていた筈の人物の名を、藍はそっと呟いた。
脳裏に浮かぶ面影は穏やかな笑顔で、耳に蘇る自分を呼ぶ声は、とても温かい。
いつも当たり前のように注がれていた、包み込むようなメガネの奥の優しい眼差しが思い出され、ツンと熱いものが鼻の奥に込み上げてきて、ぐにゃりと視界が歪む。
――泣いちゃだめ。
あの人は、あの人達は、ここにはいないのだから……。
藍はぎゅっと、唇を噛みしめる。
温室で安全に守られていた篭の鳥は、もう元の場所には帰れない。
飛び出してしまった現実という名の厳しい未知の世界の中で、自ら考え行動していかなければ一歩も前には進めないのだ。
その結果がどんなものであれ、他の道は残されていなかった。



