それから、先輩は私の彼氏のような存在になった。

お試し。

彼はそう繰り返すけれど。


正直、よく分からない。

恋愛に疎い私は、先輩に好きだと言われて、悪い気はしなかった。

みんなの憧れの村本先輩と並んでいると、なんだか誇らしいような気持ちにもなる。

だけど、それが好き、という気持ちでないことくらい、私にもわかる。



「朝倉!一緒に帰ろう!」


「ハイ。」


「……ハイ、か。ま、仕方ないよな!俺が頼んで、お試しで付き合ってもらってるんだもんな。」



村本先輩は、そう朗らかに言う。

そんな先輩を見ると、いつも私は申し訳ないような気持ちになる。


村本先輩がどんなにかっこよくても。

魅力的に笑っても。

思わせぶりな態度を見せても。


私はときめくことはない。

横内先生にときめくみたいに。



「朝倉、手、繋ごう。」


「え?」


「な、手くらいいいだろ?一応、俺彼氏だし。」



私の冷たい手を、村本先輩の温かい手が包む。

ああ、あったかいなって。

それだけのこと。



「朝倉、写真部って何してんの?」


「……写真、撮ってマス。」


「……。あ、そうだよな。」



私の返事に、ズッコケそうな先輩。

ごめんなさい、と心の中で繰り返す。

だけどまさか、先生と二人きりで、先生の横顔ばっかり撮ってるとは言えない。

モデルになってもらっているだけなんだから、言ってもいいかもしれないけれど。

やっぱり、それは私と先生の秘密が良かった。



「朝倉って、写真以外に好きなことあるの?」


「……ごはん、です。」


「え?朝倉って、料理得意なの?」


「……食べる方です。」



またもやズッコケそうな先輩。



「へー、そっかあ。何が好きなの?」


「筑前煮。」


「え?」


「筑前煮。」


「あっ……。そう。筑前煮……。おいしいよねー、筑前煮。」



棒読みの先輩に、吹き出しそうになるけれど堪える。

私は、先輩に嫌いになってほしかった。

先輩を振るなんて、おこがましいこと私にはできない。

だから、つまんない奴って思って、嫌いになればいい。


そう思っていたのに。


帰り際、先輩は笑顔で言った。



「俺、朝倉のこともっと知りたい。俺のことももっと知ってほしい。お試しじゃなくて、正式に付き合ってほしいんだけど。」



そう言われて。



「……考えさせてください。」


「うん。よかった、今すぐ断られなくて!」



嬉しそうにそう言う先輩は、不意に身をかがめて。



「え。」


「不意打ち。」



い、今の……。



「きす!!!???」



慌てて、先輩が人差し指を口の前に立てる。

私は両手を口に当てて、ただただ先輩を見つめた。


私の記念すべきファーストキス……。

この人に。

奪われた。



呆然とする私を置いて、先輩はにこりと笑って去って行った。

先輩はきっと、私がファーストキスだと思っていない。



「な、なななな!」



家に飛び込んで、ベッドの上でバタバタして。

自分の身に起きたことを思い知った。

そして、何だか少し切なくなったりした―――