そんな藍人くんの身体が、少しずつ私の方に近づいて来ているような錯覚を感じた。
いや、気のせい、気のせい。
人ごみに邪魔にならないよう端に寄ろうとしているだけ。
私ってばいやらしい
と、自分の邪心に照れ、小さく首を振った。
けれども、次の瞬間、自分の右の指先を柔らかな感触がかすめる。
それは、リズムを取って歩こうと無意識に前後していた私の手の先に、優しい温もりを一瞬伝えてはすり抜けていく。
温もりの正体は……手?
藍人くんの?
私の全神経は右手の指先に集中し、足の痛みなんてとっくに感じていない。
無意識に口にたまった唾液を呑み込み、ゴクリと音がする。この音が藍人くんに聞こえてないかと心配になり、変な汗が出る。
妄想で充満した脳内は爆発寸前で、心臓はどこかへ飛んで行きそうだ。
勘違いだよ。邪魔にならないように端に寄ってるうちに手がぶつかっただけ。
そう、自分に言い聞かせながらも、右手首にかけていた巾着の小物入れを左に持ち替える。前後に動かしていた手の動きも止めてみた。
藍人くんの手が少しずつ距離を縮めているのが、見ていないのに分かる……気がする。
さっきとは違う理由で、私の動きはがっちがちのロボットのようになった。気のせいか、藍人くんの歩き方もどこかぎこちない。
速まる心臓の動きとは反比例し、2人の間には架空の時間が流れている。周りはいつも通りの動きを、止めようとしないというのに。周囲の騒音は耳に入らず、2人だけが大きなシャボン玉に包まれ、四次元の世界に行ってしまった感覚に陥った。
ギュっと握ってくれればいいのに、なんていつもは寝ているもう一人の自分が、大胆に言う。
『いっそ、こっちから手つないだら』
何言ってるのよ。
もし、勘違いだったら、藍人くんにその気がなかったら、とんだ恥さらしじゃない。
『でも、このまま待ってるのももどかしいでしょ』
自分自身との格闘が続く。その間にも、藍人くんは徐々に近づいてくる。私もほんの数センチだけ右手を自分の身体から離す。
後15センチ。
10センチ。
6、5、4……
カウントダウンがいよいよ、ゴールを迎えようとした瞬間。
