思えばずっと、篤志が側に居ないことなんてなかった。


そりゃあ学校ではお互い友達と一緒に過ごしていたから、四六時中ぴったりと、くっつき虫のように側に居たわけじゃないけど。


それでも、あたしのこれまでの人生の記憶の中に、篤志が居なかったことはない。


物心がついたときには、家族みたいに近い存在だった。


保育園も、小学校も、中学校も、それから高校でも。

クラスこそ違ったりしてきたわけだけど、ずっと同じような道を辿ってきた。



“一緒に居ようと思う限り、ずっと一緒に居る”



その言葉は本当だったと思う。

高校受験で進路を決めるとき、あたしは篤志が志望していた高校を自分の志望校に決めた。


野球が強い高校に向かっていく篤志の背中を追いかけて、あたしも同じ学校を目指したんだ。


正直偏差値が高い学校で、成績が悪いあたしは死にもの狂いで頑張った。


結果は無事に合格だったわけだけど、篤志と一緒に居たいという思いが導いてくれた結果だった気がする。


篤志と一緒に居たいって思ったから、一緒に居られる結果になったんだって、そう思っていた。



……でも、そんなの限界があったんだね。


小学生の頃の篤志も、篤志の背中を追いかけて頑張ったあたしも、分かってなかったんだ。


一緒に居たいという思いだけでは、どうにもならないときが来ることを。