「コツは回す速度を一定に保つこと。ころころ変えると形が歪(いびつ)になる」
「い、歪……」
集中しないとできないわけか。セミの声が近すぎてうるさいけど、我慢するしかない。
「あと、あんまり強く吹き込むな。いきなり膨れて割れるかもしれない」
「はい……」
意外と注意が必要みたいでちょっと後悔する。簡単そうに見えたけど、それは先輩だったからだね。
上手くできる自信ないなあ……
「取り敢えずやってみろ」
「はい」
私の不安を他所に先輩が棒を渡してきた。でも、待ってくださいよ。
これはもしかして……
「もう一本ないんですか?」
「ない」
「え……」
先輩は素っ気なく答えた。もしかしなくても、間接キスというやつですか。そうなんですよね?
グルグルと頭の中を困惑させていると、先輩がいきなりプッと噴いた。私は首を傾げる。
「いや……気にするな」
「気になりますよ。笑われて気にしない人なんていません!」
「……可愛かったんだ」
「へ……」
私は先輩が発した言葉に目が点になる。そんな先輩は口元に手を当てて私から目をそらした。
自分で言って照れてるのか……
先輩は少し頬を紅潮させて、私の目をもう一度見た。
「困ってるおまえの顔が、可愛かったんだ」
「なっ……なっなっなんでですか!どこがですか!」
「今さらだと思ってな……間接キスぐらいで」
「まだしてません!」
先輩は私の苦し紛れな反発にさらに目を細くさせた。完全にからかわれてる……
間接キスはまだしてないけど……間接じゃない方はしたけど……
思い出して頭を抱えた。すっかり頭から抜けたと思ってたけど、そうでもなかった!鮮明に思い出せるんだけど!
思い出しては悶絶している私に先輩は頭の上から話しかける。
「可愛いな」
「なんでそんなに甘い言葉を何度も何度も……!」
私が抗議の言葉を言うべく顔をあげれば、先輩はいつの間にか眼鏡を外していた。そして、その端正な顔が私の目と鼻の先にずいっと近づいてくる。
真っ赤になっているであろう自分の顔を、私は咄嗟に隠すべく俯かせた。こんな至近距離で見つめられたら目の毒だよ……
「せっかく部員が気を使ってくれているんだ、俺だってやるときはやる」
「いったい、何の話ですか……」
「こっちの話だ」
先輩は少しずつ近づきながら私に迫ってくる。身体をそらそうにも椅子に座ってるから身動きが取れない。また俯けばいいものを、先輩の瞳から視線を外せなくて真っ正面から見つめ返す。
金縛りみたいだ……
私が抵抗できないことを悟ったのか、先輩は私の手首を手で掴み、もう片方の手は私の頬に添えた。
やんわりと頬を撫でられ背中がぞわぞわっと総毛立つ。掴まれた手首が熱い。
先輩はそんな私の変化に気づいて、額同士をコツンと合わせた。さらに私の鼓動が速くなる。心臓が口から飛び出てしまいそうだ。
セミの声と心臓の音が重なる。
硬直している私にふっと笑みを漏らすと、先輩は口元を綻ばせた。それはもう、優しく……
「逃げないのか?」
「逃げ……られません……」
「そうか。ミク、これから俺は何をすると思う……?」
「何って……」
「俺は、間接キスなんてちゃちなもんだと教えようとしている」
「……っ!」
先輩はそう言うや否や、そっと私に口づけをした。私はわけもわからず無駄な瞬きを何度もする。
先輩はそんな私に満足そうに笑って、今度はおでこにキスを落とした。もう、わけわかんない……
「おまえはリンゴか」
「……っ」
「褒めてんだぞ」
「え……っ!」
先輩はまた笑みを深めると、私が声を漏らした瞬間にまた口づけを落とした。そして、ちゅっとリップ音をわざと立ててゆっくりと離れる。
ほんの少しだけ弄られただけなのに、私の頭の中は真っ白になっていた。
何も、考えられない……
「ミクには少し刺激が強すぎたか。大丈夫か?」
「先、輩……」
「なんだ?」
「なんで……?」
なんで、こんなことするの?初恋の相手は?キスの意味は?甘い理由は?
真っ白になった頭の中には、次々と疑問が浮かび上がってきた。なんで?どうして?理由は?
知らず知らずの内に涙が流れていたのか、先輩は私の頬を撫でてその涙を掬う。
先輩は顔をしかめると、私の問いには答えず逆に問いかけてきた。
「嫌か?俺にこうされるのは」
「……」
私は答えられなかった。答えようにも、言葉が出てこない。先輩に改めて聞かれて気づいたことは……抵抗感がないってこと。嫌じゃない、嫌じゃないけど……
とにかく、わからない。
キスなんて、先輩としかやったことないから嫌かどうかはわからない。でも……先輩といると、安心する。
ほっとする。護られてる感じがする。その理由もわからないけど……頼れる存在。大きな存在。
先輩は、全部が大きい。
「嫌なら、もうしない」
先輩が私から離れようとするから、私はぎゅっと手を握り返す。先輩は目を見開いて視線を合わせた。
答えてくださいよ先輩。
「私の質問に答えてください」
「おまえなあ……」
「答えてくれるまで、離しませんから」
「……」
先輩は参ったな、と小さく呟くと、座っている私の前に膝まづいて目の高さを合わせた。その瞳は真剣そのもので、私は息をのむ。
眼鏡がないから、近く感じる。先輩の瞳も、存在そのものも。
「俺の噂は聞いてるな?告られても蹴ってるって話を」
「はい……」
「その原因も知ってるか?」
「初恋の相手が忘れられないとか……」
「その相手がミクだと言ったら、信じてくれるか?」
「えっ……」
私?なんで私なの?だって、初めて会ったのは子供のときだよ?
先輩だって、学校に入る数年前ぐらいだったはず……それなら、私に出会う前でも後でも初恋の相手がいてもおかしくないよね。
でも、私なの……?
「信じられないか?俺も最初は信じられなかった。ロリコンかよって自分を笑ったこともあったが……その笑いが本心からじゃないって気づいたんだ。それに気づいたのが、ミクが俺のいた街から去る直前……おまえが俺に背中を向けたときだ」
「なんで……私なんか……」
「俺にもわからない。だが、最初から惹かれていたから、噴水を眺めているおまえに話しかけたのかもしれない」
「それって……」
「一目惚れ、に近いだろうな。だから、なんでと聞かれても答えられない。ミクの納得のいく答えを俺は持っていないんだよ」
「……」
「ミク、好きだ。見たときからずっと……再会してからも、ずっと」
「先輩……」
先輩の告白に、私は何もできなかった。心の整理がまるでできていない。
だから、ふんわりと先輩に抱き締められても、抱き締め返せなかった。ただどうすればいいのか、何がしたいのか全くわからない。
自分の心が、知りたい。
「ミクが俺を好きじゃなくても、俺はおまえが好きだ。それだけは伝えておく」
「は……い……」
「さて、風鈴作るか!」
私が呆然としているのを無視して先輩は能天気に私の背中を叩いて離れた。大きな身体が離れて圧迫感がなくなったけど、少しもの寂しい気もする。
風鈴……作らなきゃ。
「やっぱり間接キス……」
「だから、今さらだろそんなの」
「そうですけど……」
私は腑に落ちなかったけど、すでに先輩の顔が職人の顔になってたからそれ以上言うのを止めた。凛々しいその立ち姿に一瞬目が眩む。
……やっぱり、先輩のことがわからないな。