逮捕されたのは、当時十九歳の未成年の少年。 過度の薬物中毒者で、逮捕された時の状態はすでに中毒末期状態にあり、容易な逮捕劇とは裏腹に、取り調べ及び裁判は困難を極めた。 取り調べにおいては容疑を一度は認めはしたものの、一審での検察側の求刑を不服とした団体が急遽名乗りを上げたのである。 その求刑とは、勿論【極刑】。 名乗りを上げたのは、いわゆる“死刑反対派”の弁護団であった。