もしも吉行が…… 自分の手に入れた全てに向き合う事が出来ていたならば、それが本来の“能力の高さ”のお蔭であると気付けていたのだろう。 更にはその“才能”を有意義に使用する事が出来たはずである。 能力の高い人間は、その才能を過信して欲に溺れる事がよくある。 しかし吉行は自らの能力の高さすら“虚像”にしていた。 器用さと狡猾さすら“才能”があるが故の産物であったが、彼は誤解していた。 器用に立ち振る舞い、狡猾に生きる。 それこそが才能そのものであると。