その日はもう、何も手につかなかった。

ただ、言い知れぬ恐怖と闘って。

どうしても、あの人の眼差しが胸をよぎって、落ち着かなかった。


ソファーに身を沈めて、考え込んでいるうちに。

気付いたら夕方になっていた。



ピンポーン。



インターフォンの音に、飛び上がりそうになる。

怖い、怖い、怖いよ―――



「唯?私だよ。」



その声に、はっと立ち上がって玄関に向かった。



「どうした、電気も点けないで。」


「陽さん……。」



ああ、そう言えば、夕ご飯作っておくって約束したのに。

なーんにも作ってないや。



「おい、ほんとにどうした?何かあったのか?」



先生が、私の顔を見て顔色を変えた。

目を見開いて、私の顔を覗き込む。



「唯、どうした。」


「な、何でもないです。」



ああ、また私の悪い癖が出てしまった。

余計な強がり。

それに、なんだか今日の出来事は、先生に言ってはいけないような気がして。

私以上に、先生が傷付くのではないかという予感がしたから。



「まあ、いい。とりあえず電気付けよう。な?」



こくり、と頷くと涙が零れそうになる。


電気が点くと、少しだけ安心した。

先生がそばにいるからかもしれない。



「外に食べに行くか?夕飯まだだろ?」



先生の気遣いが痛いほど伝わってくる。

でも、私は首を振った。

外に出るのが怖かった。

誰かに見られているんじゃないかと思ってしまって。



「なら、私が作るよ。唯は待ってて。」



仕事から疲れて帰ってきた先生に、ご飯を作らせてしまうなんて。

私は一日中、家の中にいたというのに。


泣きたいような気持ちになる。



「私がやります。」


「いいって。大丈夫。」



先生にさえぎられて、仕方なくまたソファーに座る。

この態度の理由を、先生にどう説明していいか分からなかった。