人身売買──何て嫌な響きだろう。


 日本では絶対にあり得ないと思っていた。


 どこか遠くの、貧しい国だけのことだと……。


 奴隷にされるのか、それとも臓器を売買されるのか。


 家畜のように扱われるかもしれない。


 おぞましい想像を巡らせながら、わたしは小さく身震いした。



 ……怖い!



 無意識に椅子から腰を浮かせて、ドアを見つめていた。


 ここから逃げなければ地獄が待っている。


 しかし、捕まったら酷い目に遭わされることも明らかだった。


 逃げるべきか、留まるべきか……。


 わたしはシェイクスピアの名台詞のように、頭を抱えて激しく葛藤した。


 判断を誤れば命取りになる。



 ──さぁ、どうする?



 わたしはテーブルに両手をついて、勢いよく立ち上がった。


 部屋を横切り、一直線にドアへと向かう。


 緊張と妙な高揚が押し寄せ、心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。


 ドアを細く開けて様子を窺うと、薄暗い廊下には人気がなかった。


 どこからか人の話し声が聞こえてくる。


 無謀な賭けかもしれない……。


 しかし、このチャンスを逃したらもう後はないのだと言う焦りが上回った。


 わたしはドアを大きく開けて、無人の廊下に足を踏み出そうとした──。



「……ッ!」


 突然不吉な予感に襲われ、金縛りのように身体が動かなくなった。


 部屋を出る一歩手前で、わたしは踏み出そうとした足をゆっくりと後ろに引いた。



 やっぱりダメ……行けない。



 背後に人の気配を感じて振り返ると、いつの間にか薄笑いを浮かべた山口が鞭を手に立っていた。