瀬奈はゆっくり、快の手を握った。快はその手を握り返すと、小さく口元を緩めた。

 ――うつ病。

 どこか安心している快とは対照的に、その時、彼の手を握る瀬奈の胸には、黒い不安が巣くっていた。

 ――うつ病。

 一緒に診断されたもう一つの 病名"不安神経症"はよく判らないが、"うつ病"は耳にした事が何度かある。同時に"自殺傾向"があると言う事も、瀬奈は知っていた。

 "うつ病""自殺傾向"――。二つの言葉が一本の線で繋がり、瀬奈の頭の中をグルグル回る。彼女が感じていた安堵感は、すぐに大きな不安へと変わっていた。

 ――どうしよう。もし、快が……。

 漠然とした不安が瀬奈を襲う。

「瀬奈?」

 真面目な顔で黙り込んでいる瀬奈の顔を快が心配そうに覗き込む。

「あ……何でもない」

 瀬奈はハッとし、慌てて笑顔を作った。快に不安を与えまいとの、咄嗟の笑顔だった。

 "うつ病"について、調べてみないと詳しい事は判らないが、不安にさてはいけないと思った。"自殺傾向"があるという事は、その病はネガティブな面が大きいはずだ。

「ごめん、少し疲れちゃっただけ」

 瀬奈はそう言い、もう一度、快を安心させるように笑顔を作った。



「病院どうだったの?」

 夕方、相変わらずな愛美の不在を知った紗織が瀬奈をそのまま夕食に誘い、神童家のダイニングで一緒に夕食をとっていると、何も言わない快にしびれを切らしたように、紗織が病院の事を訊いてきた。

「うつ病と不安神経症だって」

 紗織の質問に淡々と快が答える。

「うつ病?」

 紗織と爽の箸が一瞬止まる。瀬奈は快の隣で、黙って一人、箸をすすめていた。

「それってどんな病気なの?」

 皆の三分の一の量の食事をする快に紗織が再び訪ねる。

「さあ、俺も詳しくは……」快が短くそう答えると、爽と紗織が止めていた箸を再び動かし、その代りのようにそれまで黙っていた耕助が焼酎片手にやや酔いが回った顔で突然口を開いた。

「うつ病? 何だ、"怠け病"か!」

 瞬間、ダイニングの空気がピンと張り詰めた。特に瀬奈は頭から氷水をかけられたように食事の手が止まり、思わず顔を上げた。

「な……何言うのよ、お父さん」

 静かなリビングに紗織の声だけが響く。皆、"うつ病"についての詳しい知識はなかったが、耕助の言葉が"不適切な発言"だと言う事だけは判った。

「そんな病気、気合いで何とかしろ!」