「社長さん…なんですか?」
「大きくはないが、一応ね。昨日来てたのは秘書なんだ」
「お若いのにすごいんですね」
「親父の会社だから、俺はすごくも何もないけどな」
「継げる能力があるから今社長さんなんですよ。巽さんはすごい人だって証拠じゃないですか」

別段飾り立てられた言葉でもないのに、フッと俺を幸せな気分にする。シンプルだが心底そう思っているのがわかる表情。彼女はやはり癒しだな。

「そう言ってもらえると自信になる…ありがとう」
「思った事を言っただけ…です」

頬を赤くして俯く素振りも、少し困ったようにはにかむのも、全てが俺には新鮮で惹かれていく。全く堪らないな…。

「君も…カフェの店員の鑑だよ」
「え…私、ですか?」
「ああ。俺は君が異動してくる前から通っていたが、君が来てからは常連客も増えているし、君を見ると出勤には気合いが入るし、退勤時は疲れも癒される」
「そんな…」
「喫煙スペースのカウンターからは君がよく見える…特等席だ」
「巽さん…大袈裟です」
「事実だ。俺は社交辞令やおべんちゃらは好きじゃない…君は俺の癒しなんだ」
「あっ…ありがとうございます…でも…やっぱり恥ずかしいです」

こんなに可愛いと思えた女が俺の過去にいただろうか…?記憶を遡る限りどこにも見当たらない。シンプルで素直で柔らかい空気を持った彼女は…俺史上最上級だろう。

それから暫くして、俺たちは県境にある広大な敷地の自然公園に入った。

「こんなところでよかったか?」
「はい。前から一度来てみたいと思ってたんです」

平日であるせいか、母子連れや老夫婦が疎らにあるだけの長閑な散歩道を歩く。道沿いを季節の花が飾り、ボートの浮かぶ湖や小動物の柵もある。
彼女は嬉しげに俺の隣を歩いていた。こんなデートは初めてで慣れもないが、純粋にはしゃぐ彼女を見ると、こういう形もありだと思えた。

昼頃までゆっくりと園内を回り、無農薬野菜や有機栽培した餌を与えていた肉を使ったレストランでランチにした。天気もいいのでテラス席に出る。
彼女と向かい合って食事をする日が来るとは思いもしなかったせいか、まともに味もわからないような状態だった。笑顔を見ているだけでどんな味気ない食事も極上に感じる事だろうがな。
そして俺はまた初めての体験をする…。

「そんなのダメですっ」
「俺が誘ったんだから当たり前だ」
「でもダメですっ」

会計を前に支払いで女と揉めたのは初めてだ……店員も唖然とやりとりを見ている。俺が払うと言っても彼女は退かない。割り勘だと言って聞かない…。

「…わかった」

溜息混じりに答えれば、彼女がパッと笑顔になる。

「だからここは俺に任せてくれ」
「巽さんっ」
「その代わり、次の機会に何かお礼をしてもらう…それでいいだろ?」
「わかりました…ご馳走になります」

こんな些細な事で揉めるとは思いもしなかった…。

「ちゃんとお礼、しますね」
「ああ…楽しみにしてるよ」

一時はどうなるかと思ったが…彼女は一方的に何かされるのが好きではないらしい。見返りを求めたわけでもないのに、彼女はお礼をするのだと嬉しそうにする。それが俺にだけ向けられている…。
普段ならある種、屈辱的な気分になるはずだ。俺はこの程度も出来ない男だと思われているのか、と。俺は経済誌に取り上げられた事もある、経済力も同年代の男よりは格段にある…連れている女には財布どころか荷物を持たせる必要すらないと思っている。
男を立てるという事を知らずに俺の顔に泥を塗ったと怒鳴り散らしてもおかしくない状況だった。
それなのに俺から出たのは溜息一つ…惚れた弱味か気まぐれか……前者である事は間違いないだろうが、俺にとって彼女が他の女共とは別格なのだと改めて確信させられた。