「快!」

 真っ暗闇に浮かぶ白い灯の後ろで声がした。

「寒いだろう、帰ろう」

 灯に照らされた快が、その声にゆっくり瞳を上げる。

「帰ろう」

 灯の後ろから差し出される長い腕、爽だった。

「兄貴……」

 快の顔から懐中電灯を下げ、爽が近付いて来る。その顔は、安堵の表情で溢れていた。

「瀬奈ちゃんなら今日はいないよ。友達の家に泊まりに行ってる」

「え……」

 爽の言葉に快の瞳がゆらりと動く。「友達……?」

「ああ」

 答えながら、爽が抱き抱えるように快を立ち上がらせる。快は爽に支えられながら、ゆっくり立ち上がると、力なく歩き出した。

「寒かったろ」

 言いながら、爽が快の背中をさする。が、その問いかけに快は答えなかった。

 もしかして、知らなかったのだろうか。

 無言で力なく歩く弟を見つめながら、爽は切なそうに目を伏せた。

 時をさかのぼる事十分前、トイレに立った爽は、快の部屋のドアが半開きになっている事に気付き、慌てて中を覗き、不在を知った。そして両親にそれを知らせた後、家を飛び出し、懐中電灯片手に一番の心当たりで、徒歩五分の距離にある城ヶ崎家に向かったのだった。 

 決して口には出さないが、快が無事でいた事がたまらなく嬉しかった。瀬奈が出て行ってからずっと、爽は大学の講義を上手に調整し、快が家で一人にならないよう、気を付けていたのだ。

「さ、入って」

 家に着き、ドアを開けて快を先に中に入れる。ドアに鍵をかけ、二人でリビングに行くと、紗織がホットココアを用意して二人を待っていた。

「お帰り、寒かったでしょう」

 爽が快をソファに座らせると、紗織がココアを入れたマグカップを前のテーブルに置いた。

「ココア飲んだらお風呂入りなさい。温まるわよ」

 紗織も爽も、暖く優しい口調で快に話し掛けている。快は黙ったままマグカップを手に取り、ゆっくり口に運んだ。

「……」

 暖く甘い液体が、喉を越え、体の中心部へと真っ直ぐ下り、芯から冷え切った快の体を温めてゆく。しかし、どんなに体が暖まり、瀬奈の所在が判っても、気持ちは晴れていないように、爽には映った。