いずみが朝食を終えて外へ出ると、久しぶりの蒼天が広がっていた。
 ふう、と感嘆の息を吐いてから、小さく身を震わせる。朝の好天は見るだけなら爽快だったが、普段よりも冷え込みが厳しく、寒さで鼻や耳が痛くなってしまう。

 まだ本格的な冬には入っていない上に、充分厚着をしているのにこの寒さ。
 もう少し日が経ったらと想像するだけで、体の芯が冷えていく気がした。

 早く温室に入ろうと、いずみは小走りに庭園を駆け抜けていく。
 息を軽く切らしながら温室の扉を潜る頃には、早まる鼓動に合わせて体が温まっていた。

 何度か深呼吸して息を整えてから、隅にある用具箱からじょうろを取り出し、中に水を汲む。
 薬草たちに水を与えてから奥の植物たちにも与えていると――。

 ――キィィィ。扉がゆっくりと開く音がした。

「おお、やっぱり今日もここに居たか」

 聞き覚えのある低い声。
 まさかと思いつついずみが振り向くと、イヴァンが口元に微笑を浮かべてこちらへ近づいて来ていた。

 初めてここで顔を合わせたのは数日前で、そう簡単に会うことははないと思っていたのに……。

 もう怖くはなかったが、緊張して体が強ばってしまう。
 いずみは息を呑み込んでから、硬くなっていた口を開いた。

「お、おはようございます、イヴァン様」

 いずみのぎこちない態度にイヴァンは訝しがることはなく、「おはよう」とにこやかに答えてくれた。

「エレーナ、会えて良かったぞ。この間の花束の礼を言いたくてな……ありがとう。今までの見舞いの中で、一番母に喜んでもらえた」

 勝手に温室の花を切ってしまって大丈夫だろうかと、ずっと心に引っかかっていただけに、その言葉を聞けてこちらも嬉しくなってくる。

 いずみは満面の笑みを浮かべてイヴァンを見上げた。

「王妃様に少しでも喜んで頂けて光栄です。もっと上手に作れると良かったのですが……」

「あれだけ作れるなら立派なものだ。母も草花だけでよくここまで作れるものだと感心していたぞ」

 イヴァンに穏やかな眼差しで見つめられ、いずみの頬に熱が集まっていく。
 あまり褒められると恥ずかしくて、ここから逃げ出したくなってしまう。
 
 視線を下に下げて、いずみが照れ隠しに指で頬を掻いていると、

「それで花束の礼をしたいのだが、何か欲しい物はあるか? あまり贅沢な物は応えられんが、出来る限りエレーナの希望に沿いたい」

 イヴァンの問いかけを耳に入れた瞬間、いずみは即座に首を横に振った。

「私はイヴァン様と王妃様に喜んで頂けただけで充分です。他には何もいりません」

 こちらの慌てた声に驚いたのか、イヴァンの目が丸くなり、眉間に皺を寄せて困った色を浮かべた。

「まさか、そう即答されるとは思わなかったな……エレーナ、急かさないから何が欲しいか考えてくれ。今すぐ言わずとも、また後日に言ってもらっても構わんぞ。若い娘なら、きれいな服や髪飾りとか欲しい物はたくさんあるんじゃないか?」

「いえ……あの、私は本当に何も欲しくありません。今まであまり物が欲しいと思ったことはありませんし、それに――」

 ふと今までのことが頭をよぎり、急に胸の奥から痛みが突き上げてくる。
 命を落とした両親や仲間たちが次々と脳裏に浮かんでは消える。

 最後に残ったのは、自分を守ろうと覚悟を決めてくれた、大切な妹の顔だった。

 思わず涙が込み上げそうになり、いずみはわずかに俯いて唇を噛んだ。

「――私が心から求めるものは、もう手に入れられないものばかりですから……」