桜太夫 「このことは、ついさっきあちきが勝手に決めたことでありんす。この店の者達には、まだ誰にも話しておりんせん。」

菊屋「そうかい…。そしたら今から尋ねるんか?」

桜太夫「あい。」


太夫が振り返ると

御影屋は
今度は畳ではなく
しっかりと桜太夫の顔を見据えていた。

そして、一時の間をおいたあと、太夫に聞かれるまえに、はっきりとこう言った。

御影屋「太夫、お前の好きなようにしな。」



涙目になりながらそう言った御影屋に、もはや迷いはなかった。

桜太夫がいなくなっても、この店、この吉原は自分の手で守ってやろう。

太夫の道は太夫が決める。この禿たちも、この太夫についたがゆえのさだめ。

分かってもらえると信じよう…。







翌朝。


楓と椿は御影屋の離れに呼ばれていた。


太夫はまだ寝ている。


御影屋「お前達、昨日はご苦労だったね。遅くまで働いてくれたのに 朝早くに起こしてしまって悪いんだが 少し話がある。」


楓「あい。」

椿「祇園に行く件でありんすね…。」


御影屋「そうだよ。お前達の気持ちを知りたくてね。どう思ってる?」


楓「おいらは、太夫と一緒に行きたい。太夫が生きなさるように、おいらは生きる。」

椿「おいらもだ。吉原にはお世話になった方々が沢山おりんす。しかし、桜太夫についた以上は、おいらが一人前になるまで 面倒を見てもらうつもりでありんす。」


まだあどけなさの残るこの童女達だが、さすがは太夫を見て育った禿。
幼いなりにも、やはり桜太夫譲りの粋な心意気が見て取れる。

昨夜の戸惑いの色はもはや消え去り、二人ともが、自分の意志を貫こうとしているようだ。



御影屋「……そうかい。それなら仕方があるまい。 踏ん切りがつかなかったのは、どうやらこの私だけだったようだね。」


どこか寂しげな亭主の声音に、楓達も同情したが

それはもう仕方がない。皆が悩み、苦しんだ末に決めたことだ。


他に言葉はいらなかった。




御影屋「…ッさぁさぁ、花魅達が目覚めるころだよ。朝餉の支度だ。二人とも、もうお行き。」





この日から 御影屋で太夫の身請け話しについてのあれこれが、遊女や番頭、客達の中でさえ、登ることは一切なくなった。

最後まで 【御影屋の太夫】として気持ち良く仕事をしてもらうために、亭主が遊女達に口止めをしたのだ。

桜太夫に対して亭主が出来る、心ばかりの気遣いであった…。