若いサラリーマンが通勤中に子どもといっしょに一生懸命走ってる姿は、それだけで萌えちゃうよね!


30歳のサラリーマン、ダイキチが祖父の隠し子であるりんといっしょに生活するというお話です。


このマンガ、連載中の雑誌も読みました。だいぶ年月もたって最初6歳だったりんも16歳の高校生になって、ダイキチに恋心をいだくという展開にまでなっていました。ダイキチにとってりんは血縁上「叔母」にあたるのですが。



小さい頃からずっと一緒にいる相手というのは、「自分のことを全部知ってくれている」という安心感があります。ふつうおつきあいを始めると「自分のこんな所を知ったら、嫌いになるかな?」っていう不安がつきまとうと思います。そういう所もぜんぶふくめて、好きと言ってくれたなら、こんなに幸せなことはありませんよね。

そういう安心感、信頼感というのは二人が長く一緒にいるために必要な要素なのでしょう。



しかし、そんな「わかってもらえすぎている」相手だからこその苦悩が、りんにはあります。

ダイキチはりんの中にある「子どもとしての悲しみやつらさ、よろこび」をまっすぐ見てあげています。それはダイキチの中に“自分の子どもではない”という客観性、距離があって、それが『微妙なへだたり』として残っています。本当の親子としての関係が、二人には築けないのです。
しかもそのせっかくのへだたりも、恋の相手としては十分に離れていないのです。りんのダイキチに対する恋心は、ダイキチのりんに対する親心に包み込まれてしまって、どうにも出られないまま。
この「親子にもなれず、恋人にもなれない」という距離感が、このマンガの面白さであり、二人の苦悩を物語っています。

熱烈な愛の炎と、おだやかでやさしいぬくもり。どちらか一方が満たされても物足りなさを感じてしまう。人間というのは、とてもわがままで、よわい生き物です。そこがまた、人間の愛すべき一面でもあるんですけどね。