壁越しにイビキが聞こえてこない夜を過ごしたのなんか、久しぶりだった。
あんなに放浪癖があった兄貴なのに、いつの間にか家にいるのが当たり前になっていたんだ。
まなみの存在が兄貴をそうさせていたはずだった。
なのにあいつは、まなみを置いて出て行った。
俺は?
俺はこれからどうすればいい?
……どうもできねーか。
兄貴のいない生活が始まったその日。
俺は浅い眠りを漂っただけの、すっきりしない朝を迎えた。
カーテンを開けて、なんとなく町を見てみた。
顔を出したばかりの太陽が、電信柱の輪郭をくっきりと浮き上がらせていた。
すげー静かな朝だ。
新聞配達のバイクの音がかすかに聞こえるだけの、とても静かな朝。
俺は家族を起こさないようにそっと階段を下り、キッチンの扉を開けた。
……面食らった。
まなみが、なぜかそこで、床に這いつくばっていたから。
「お前、朝っぱらから何してんの?」
俺の声に、まなみは顔を上げた。
朝日が眩しいからか、それとも俺が気に食わないからか、まなみの眉間にはシワが寄っている。
「何って……見ればわかるでしょ?拭き掃除です」
確かに。見れば分かる。
まなみの手には雑巾が握られていたし、キッチンの床は明らかにきれいになっていた。
けどさ、なんでわざわざこんな朝早くにやるかな。
「実はお前って、けっこう気遣うタイプ?」
「え?」
「朝っぱらから掃除なんかして、そんなに家族に気ぃ遣うんなら同居なんかやめときゃいいじゃん」
言い方に棘があることは、自分でも分かっていた。
そして、自分がどうしようもなくイライラしていることも。
けどその理由だけが分からない。
なんで俺がイラつかなきゃいけないのか。
さっぱり分かんね。