前回は言い訳を長々としてしまいすみません。
今回は僕が漠然とモヤモヤしているフェミニストについて調べた上で思ったこと僕と関係してる物を整理しながら書きたいと思ってます。

まず、フェミニズムとは、女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称であり、政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差を明るみにし、性差別に影響されず万人が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想・運動であるとWikipedia先生が仰っております。

これが正しいかどうか調べたのですが、どれもそこからの個々の主張が強過ぎて判断出来なかったので概ね上記のような思想と思って下さい。
詳しくは自分で調べてみると面白いですよ。

僕はこの主張や思想は素晴らしいと思いますし、性の役割の解放も果たせたら男性も女性も生きやすくなるのは間違いないと思ったのですが、何故ここに感してモヤモヤしているのかがわからず日本のネット上におけるフェミニストの意見を見ながら書いていきたいと思います。

まずフェミニストで日本の中で最近メディアを賑やかしたのは、とある女性がKoToo運動をしたのが記憶には新しいですよね。

KoTooはパンプスの着用を女性のみに命じることは性別に基づく差別なのではないか?というから始まった素晴らしい運動だと思います。

そこから派生して日本で強制や義務付けといった慣例的なものまで見直そうという動きがあることは事実だと思います。

まず何故このような服装規定が始まった歴史を調べてみましたが、僕の情報収集能力では辿りつけませんでした。

ですが、服装規定というのは周りへの配慮から始まり一つの世界観を作ろうとして始まったのでは?もしくは道徳やルールといった縛る物がない限り人間は本来ヒトという動物なのは間違いないので、まとまりを作る為から始まったのではないでしょうか?

歴史を調べてみてもネットでは見つけれなかったので、どなたか教えて下さると有り難いです。

その点から考えると様々な多様性が叫ばれる世の中において強制が良くないのは当然だとしても、仮にパンストやメガネではなくコンタクトをしている方がいても周りからは言う権利がないのでは?

僕にはこの規則が女性差別や女性軽視をしているとは考えにくく、その会社なりの配慮しようといった考えのもとに作ったカラーなのでは?と思います。

僕はもし服装規定が良くないのであるのでしたら、人が配慮を当たり前のように感じ求める夜の中の漠然とした要求やイメージからの脱却を訴えたい。

服装規定は女性だけでなく男性にも用いられることもあるので。

ともかく、今は自由への拡大を様々な界隈で賑やかしおり規則という項目を作ってまで個々を縛りつける時代から変わろうとしてきてはいますよね。

僕は先代の人達が定めた彼等の思いやりを受け継ぐか、それを謎ルールとして斬り捨てイメージや要求からの脱出をし生きやすい世の中になるかどちらも素敵な選択だと思いますし、どちらの意見の居場所も作れると良いですね。

って、フェミニストの話をしようとしたらKoTooだけの話になってしまった。

こんな感じで脱線していくので皆さん注意してくださいね。