鼓膜に噛みつくみたいな音符の群れが遠ざかる。
あたしはこの瞬間を待ってた。
「見つけた。僕のアリス」
ライブを終えた兎戯が、木陰で座り込むあたしからイヤホンを摘み取って耳許で囁いた。
その声は、一瞬であたしを蕩けさせる。
いま剥がされた歌声と同じ、毒入りのマシュマロボイス。
だけど機械に閉じ込められた声じゃない、体温のある声は鼓膜から伝って全身を震わす。
6月の雨に濡れたみたいに、肌が一瞬でじっとりと汗ばむ。
周囲の音はもう聞こえない。
左耳はただ彼の声だけをとらえる為だけに機能して、熱を帯びる。
「ステージからずっと見てたんだよ、気付いてたよね?」
「うん……『お茶会』に呼んでもらえるといいな、って」
こくり頷く。
知ってたよ。
今夜はあたしの番だ、って気付いてた。
だから、他のアリス達から離れたところで待ってた。
キスの距離で黒髪の隙間からのぞく琥珀の瞳が、あたしを射る。
「はは。『お茶会』かぁ。みんな僕のこと軽いヤツって思ってるんだろうね」
「そんなこと……。兎戯さんはそれが許される人なんです。『お茶会』はアリス達の憧れですから」
「ますます悪いヤツだね、そいつ」
彼はくすくすと目を細めて笑った。
「……そんなとろんとした顔して、兎戯ってヤツのこと、そんなに好きなの?」
「ん……大好きです」
自分を見つめるあたしの頬に触れて、わざとらしく他人みたいな質問をする。
ずるい。
自分がそれを言ったら女の子がどうなるか、全部わかってるんだから。
もう、イエスしか言えなくなってる。
例えば今あたし、ここで死ねと言われたとしても抗えない。
彼の唇からこぼれる言葉で操られる。
その快感に深く溶けて、あたしは人形になる。
顔が近すぎて、とてもじゃないけどもうまともに目を見ていられない。
鼻にかかる息さえ甘い香り。
恥ずかしさに耐え切れず視線を落としたのに、今度は舌足らずで甘えるみたいに話す唇と舌の動きがあたしを捉えて離さない。
それに気付いた彼がそのイタズラな口許を蝶々みたいな人差し指でなぞる。
その蝶々が次に止まったのは、あたしの唇だった。
「全部、僕のものにしていいよね?」
返事は、出来なかった。
触れた蝶があたしの唇を押し開けて、舌を掴む。
ざらざらする感触を確かめるようにゆっくりとスライドして、蝶は口の中を自由に泳ぐ魚になった。
魚の尻尾が上顎の裏で跳ねるたびに、カラダの奥に甘い蜜が溜まっていくような感覚。
もう全身が蜂蜜になってしまいそう……
堪えきれない蜜が唇の端から溢れて、そうしたら、愛しい人が優しく舐めとってくれた。
「おいで。不思議の国へ連れて行ってあげる」
ふらつくあたしの腰を支えて立ち上がった彼がタクシーに手を挙げる。
この光景を、あたしはずっと向こう側で見ているだけだった。
きっと今もあたしを羨むアリス達がこっちを見てるんだろう。
今夜だけなのか、次があるのかわからない。
だけど今あたしは間違いなく、『お茶会』に招待された『特別なアリス』だ。
もたれた胸から彼の心臓の音が聴こえる。
首筋からは甘い香りがする。
それは砂糖菓子よりも甘くて、フルーツのリキュールよりもあたしを酔わす、誘惑の香り。
この香りに包まれて、歌うみたいに耳許で囁く声に一晩じゅう溺れていたい。
不思議の国で――
あたしはこの瞬間を待ってた。
「見つけた。僕のアリス」
ライブを終えた兎戯が、木陰で座り込むあたしからイヤホンを摘み取って耳許で囁いた。
その声は、一瞬であたしを蕩けさせる。
いま剥がされた歌声と同じ、毒入りのマシュマロボイス。
だけど機械に閉じ込められた声じゃない、体温のある声は鼓膜から伝って全身を震わす。
6月の雨に濡れたみたいに、肌が一瞬でじっとりと汗ばむ。
周囲の音はもう聞こえない。
左耳はただ彼の声だけをとらえる為だけに機能して、熱を帯びる。
「ステージからずっと見てたんだよ、気付いてたよね?」
「うん……『お茶会』に呼んでもらえるといいな、って」
こくり頷く。
知ってたよ。
今夜はあたしの番だ、って気付いてた。
だから、他のアリス達から離れたところで待ってた。
キスの距離で黒髪の隙間からのぞく琥珀の瞳が、あたしを射る。
「はは。『お茶会』かぁ。みんな僕のこと軽いヤツって思ってるんだろうね」
「そんなこと……。兎戯さんはそれが許される人なんです。『お茶会』はアリス達の憧れですから」
「ますます悪いヤツだね、そいつ」
彼はくすくすと目を細めて笑った。
「……そんなとろんとした顔して、兎戯ってヤツのこと、そんなに好きなの?」
「ん……大好きです」
自分を見つめるあたしの頬に触れて、わざとらしく他人みたいな質問をする。
ずるい。
自分がそれを言ったら女の子がどうなるか、全部わかってるんだから。
もう、イエスしか言えなくなってる。
例えば今あたし、ここで死ねと言われたとしても抗えない。
彼の唇からこぼれる言葉で操られる。
その快感に深く溶けて、あたしは人形になる。
顔が近すぎて、とてもじゃないけどもうまともに目を見ていられない。
鼻にかかる息さえ甘い香り。
恥ずかしさに耐え切れず視線を落としたのに、今度は舌足らずで甘えるみたいに話す唇と舌の動きがあたしを捉えて離さない。
それに気付いた彼がそのイタズラな口許を蝶々みたいな人差し指でなぞる。
その蝶々が次に止まったのは、あたしの唇だった。
「全部、僕のものにしていいよね?」
返事は、出来なかった。
触れた蝶があたしの唇を押し開けて、舌を掴む。
ざらざらする感触を確かめるようにゆっくりとスライドして、蝶は口の中を自由に泳ぐ魚になった。
魚の尻尾が上顎の裏で跳ねるたびに、カラダの奥に甘い蜜が溜まっていくような感覚。
もう全身が蜂蜜になってしまいそう……
堪えきれない蜜が唇の端から溢れて、そうしたら、愛しい人が優しく舐めとってくれた。
「おいで。不思議の国へ連れて行ってあげる」
ふらつくあたしの腰を支えて立ち上がった彼がタクシーに手を挙げる。
この光景を、あたしはずっと向こう側で見ているだけだった。
きっと今もあたしを羨むアリス達がこっちを見てるんだろう。
今夜だけなのか、次があるのかわからない。
だけど今あたしは間違いなく、『お茶会』に招待された『特別なアリス』だ。
もたれた胸から彼の心臓の音が聴こえる。
首筋からは甘い香りがする。
それは砂糖菓子よりも甘くて、フルーツのリキュールよりもあたしを酔わす、誘惑の香り。
この香りに包まれて、歌うみたいに耳許で囁く声に一晩じゅう溺れていたい。
不思議の国で――