ぼくは、燕秋に居を置いている少数民族の許に生まれた。
 民族の名は、覚えていない。
 ぼくはそこで、姉と共に暮らしていた。
 両親はぼくが生まれてすぐに流行り病で死んだらしい。ぼくは顔も見た事がない。
 
 姉は穏やかな人で、茶色の瞳に紅い髪をしていた。
 十一歳年が離れていた姉は、ぼくと暮らすために青流酒(せいりゅうしゅ)という薬を作っては外部に売りに出かけていた。

 なんでも青流酒は民族秘蔵の物で、高く売れるらしい。そんなに本数が作れないのが欠点と言ったところだろうか。
 ぼくも手伝いがしたかったけど、村の外には出てはいけないと言われていた。
 村の人達は、親のいないぼくらを可愛がってくれた。何かと目をかけて、世話をしてくれていた。
 村は一つの家族のようだった。
 だけど、ぼくだけが違っていた。

 村のみんなは、その殆どが姉と同じように、茶色の瞳に紅い髪だった。
 ある日どうしてなのか気になって、姉に訊いたら困った顔をされてしまった。それでも聞きたくて、ぼくはせがんだけど、姉は本当は知らないのだと言った。
 それでぼくは村長に尋ねてみた。

 村長は、快く教えてくれた。
 なんでも、ぼくの父方の祖父が功歩の人間で、村に婿にやってきてそれは良く働いたのだそうだ。温厚で真面目な人物だったと語った。
 ぼくは祖父に似たのだろう。
 
 功歩の人間はその殆どがぼくと同じ容姿なのだそうだ。
 ぼくは、祖父の故郷に想いを馳せた。
 いつか行ってみたい。
 そんな馬鹿げた夢まで見た。
 
 六歳のある日――ぼくのそんな愚かしい夢は砕け散った。
 夜、ぼくは悲鳴の中で目覚めた。

 誰かが遠くで叫んでいる。
 朦朧とする意識の中で、ぼんやりとした光を捉えた。
 目を開けると、それは煌々と輝く赤い光だった。
 闇の中で縦に伸びたその光は、ぼくがクローゼットの中に押し込められていたことを教えた。
(なんでぼく、こんなところにいるんだろう?)

 ぼくはぼんやりとそんな事を思って、その光を覗いた。
 そこには、信じられない光景が広がっていた。
 開け放たれた玄関の向こうでは、悲鳴にまみれた村人の逃げ惑う姿。家という家が煌々と燃えている。
 ぼくには何がなんだか分からなかった。
「……うう!」

 ふと、すぐ近くでうめき声が聞こえた。
 視線を下に移すと、姉が裸で床に転がっていた。
(何をしてるんだろう?)

 そう思ったぼくの視界は、もう一人の人物を捕らえた。
 そいつは、その男は、ぼくと同じ金色の髪に、白い肌に、緑の目をして、姉の股に自分の股間を押し付けて、腰を振っていた。
 今のぼくなら、何をしてるのかなんてすぐに分かるけど、その時のぼくには、ちんぷんかんぷんだった。
 ただ、姉のあの目だけは鮮明に覚えている。

 空虚で、絶望しかないような、暗い瞳。
 涙を流した跡だけが頬に残り、もう泣く事も諦めたような、そんな眼だった。
(お姉ちゃんを助けなくちゃ!)
 そう思うものの、ぼくは動き出す事が出来なかった。
 なんだかとても、恐ろしかった。

 やがて男の動きが終わって、
「俺で終わりだから、安心しなよ」
 男は確かにそう言った。
 その時のぼくにはやっぱりなんの事なのか分からなかったけど、姉はこの男の前に、幾人かに犯されていたのだ。

 姉は何も言わなかった。
 何か言える状態でもなかった。
 そんな傷つき果てた姉に、男は冷笑を浴びせた。
 そして……剣を振り翳した。
 鈍く、何か重いものが転がる音。
 飛び散る赤い液体。
 姉の、首と胴が切り離された。
 その瞬間、姉はぼくを見た。
 空虚な闇を映す目に、一瞬の懇願が映った。

『……助けて』

 姉が本当は何を思ったのかなんて、分からない。
 でも、ぼくに何かを訴えたのは事実だ。
 ぼくは、その時頭の中で何かが弾けたのを感じた。
 気がついたら、ぼくは獣のように叫び、意味のなさない声を上げていた。
 クローゼットから響いた雄叫びに、男は驚いてクローゼットを開けた。

 その時だ。
 ぼくが自分の能力に気がついたのは――。

 男が踏んだ姉の血液が、突如として針の筵のように突き上がって男を串刺しにした。
 何本も、何本も、男の体に深々と刺さり、男は刹那の悲鳴を上げて地面に伏した。ビクビクと体が痙攣し、すぐに動かなくなった。

 ぼくは、呆然とした。
 頭がまったく働かなかった。

 だけど、その内感情だけが動き出し、喚きだしたくて仕方なくなり、獣のように吠えて、駆け出した。

 姉の血を踏んづけて、床を血の足跡まみれにして、ぼくは外に出た。
 するとそこは、地獄だった。
 そこかしこに転がる、ぼくの〝家族〟
 悲鳴と、笑い声の渦。
 建物を焼き尽くす炎は、地獄を映し出すためだけに夜に輝いている。
 
 ぼくは、片っ端から、出遭う、ぼくと同じ姿の鬼を殺して回った。
 そのうちに、鬼の輝く金色の髪が血に染まるのを見る度に、ぼくがぼくを殺しているような気になった。
 ぼくがこんな酷い事をして、ぼくが自分で裁いている。
 ぼくが会いたいと思った自分と同じ容姿の人間は、こんなにも酷い人達だった。
 だけど、そんな人間を殺していく自分も、同類なのだ。
――違う!
 ぼくは、こんな奴らとは違う。
 これは正義だ。
 ぼくはこの村の人間だ。
 ぼくは、功歩の人間じゃない。
 ぼくは、美章の民だ!

「うわあああああ!」

 ぼくは雄叫びを上げた。
 気が狂ったような叫びに気がついて、鬼は群がってきた。

「なんだこのガキ、能力者か?」
 鬼の一人が唸った。
 そこへ、矢が飛んだ。
 その矢は鬼の一人の眼に当たり、鬼は悶絶して倒れた。
 慌てふためく鬼に、矢が次々に注がれる。
 鬼どもは小さく悲鳴を上げながら逃げ出した。

「大丈夫かい? 坊主」

 振り返ると、そこには大柄な男が立っていた。
 立派な鎧を身につけ、無精ひげを生やした初老の男。

「うるせえ! 邪魔すんな! ぼくは、あの鬼どもをやっつけるんだ! これは正義だ!! 皆殺しにしてやるっ!」

――皆殺しだ!

 そう叫んだぼくに、男は落ち着いた表情で肩に手を置いた。

「でもね、キミ。血だらけじゃないか」
 そう言われて、ぼくはハッと気がついた。
 腕はぱっくりと切られ、脚にも幾つも切り傷がついていた。

「平気だ、こんなの! ぼくは血が操れるんだ、さっき気づいたんだ! だから、こんなのすぐに止められる!」
「ほう……そうかい。ならば、やってみなさい」
「言われなくてもやってやるよ!」

 ぼくはふんぞり返って、力を込めた。
 でも、血は止まるどころか、どんどんとあふれ出ていく。

「さっき気づいたと言ったね? 能力は発動したばかりだと、操りきれないことが多いんだよ」
 男はぼくにそう告げた。
 ぼくはこの時、血を操れるから、切れた血管もくっつけられると思っていたけど、そんな事は出来なかった。
 ぼくが操れるのは血液だけで、修復能力があるわけじゃない。
 切られて流れ出た血を操れても、止める術はない。
 男は振り返って、後ろで待機していた部下達に声を張り上げた。

「さ、この子の手当てをしてあげて!」
「ですが、三関……この子は白星じゃ……?」
 部下の一人から、戸惑った声が聞こえた。
「この子は国民ですよ。見たでしょ? 勇ましく敵国と戦っていた姿を」
 男は平然とそう言ってのけ、ぼくを部下達の許へ押し出した。
「さあ、私達は殲滅作戦と行きますよ!」

 男が声を張り上げると、部下達は「おお!」とそれに続いた。
 ぼくは部下の一人から陣営で手当てを受けた。
 ここに留まるようにと言われたけど、ぼくの感情は治まる気配を見せず、ぼくは監視の目をすり抜けて村へと戻った。

――鬼どもを殺してやる!

 だけど、村に戻ると全てが終わっていた。
 鬼どもの死骸も村人の死骸も、同じように横たわり、あの男が勝利したのだと報せていた。

 後から知った話だが、ぼくの村は功歩軍の通り道だった。
 村に残ったやつらはその残党で、本隊はすでに北上していたのだ。
 男の隊もそれを追ってすぐに消えた。
 残されたのは、ぼく一人。
 そう――廃墟となった村には、ぼくだけが立っていた。