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『掌編小説集』

第十章(1)

⒑『契約』
 世の中広ろしと雖も、新興宗教の教祖ほど怪しげな人物はいるものではない。大法螺吹き、詐欺師、狂人― ― 等々。化けの皮を剥いでみたら、教祖の正体は似たり寄ったりの曲者、食わせ者ぞろいということになるだろう。狂人同然の怪しげな人物に会い、世迷い言を聴くほどの苦痛など滅多にあるものではない。
 ところが、その災いが新米社員の及川に降りかかってきた。和製ラスプーチンの異名を持つ教祖様に面会し、有難い御託宣を拝聴してこいとの社命だった。駆け出し営業マンの及川喬一にとって、どのように取り繕っても言い逃れできない事態だ。
 月々の営業成績を個々にグラフ化し表示していて、誰が貧乏籤を引くことになるかは歴然としていた。成約件数最下位の及川にとって、毎日の出社は三途の川を渡るよりも恐ろしいことだった。教祖様に取り入って、あわよくば契約を取り付けるようにとの、上司からの有無を言わさぬ指示だ。
 しかも、タイヤがパンクしたりエンジンが焼け付くかも知れないポンコツ営業車を運転、妖怪が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していても可怪(おか)しくない山奥の、さらに山奥深くに在るという、廃屋同然のあばら屋に詣(もう)でろというのだから、ヴェテラン営業マンは誰も名乗り出ないのは当然だ。
 がっしりした体格の及川を誰かが視て、外観と裏腹な内気で臆病な奴と知ったら絶句したことだろう。内勤よりも外勤に最適な体育系に視える―― 及川が小心者と知る者は当人を除き、営業部門に誰一人いなかった。当人にとっては不運に違いない。おまけに当日に限って、真夏だというのに肌寒く、どす黒い雲が天空に貼りつき、しかも龍がとぐろを巻いてでもいるような薄気味悪さ。まるで、小心者の及川を嘲笑うかのような空模様だった。
 ポンコツの営業車のボンネットを開け、エンジン周りやオイルの有無を点検し、タイヤを蹴飛ばして空気圧が十分かどうかを確かめ―― そこへ、鬼のような面相の営業課長が爪楊枝を口に咥え、木枯らし紋次郎気取りでやってきた。
 及川が靴音に気づいて振り向くと、課長が何時もになくニコニコ顔で近づき、だみ声でブツブツと何事かを呟いた。どうやら、及川が首尾よく成約できたら、最下位から最上位の成績になるだろうとのご託宣らしい。
 それは運が好ければであって、及川にそんな強運が舞い込むはずはなかった。課長にしてみれば、及川を他部門に厄介払いできる好機到来だった。課長は言いたいだけいうと、及川の肩をポンと叩いて、鬼のような面相ににやけ顔を貼り付け、降り始めた雨を避けるかのように社内に駆け込んだ。
 営業部門から叩き出したいなら叩き出してみろってんだ。こうなったら、ラスプーチン様に平身低頭してでも契約に漕ぎ着け、あの鬼野郎の鼻を明かしてやる―― 及川はいつもになく弱気から強気に豹変し、駆け込んでいった課長を睨みつけると、車に乗り込んでイグニション・キーを操作した。ブルルン、ブルルン、プスプススス―― 勢いよくかかったと想った途端、エンジンは停まってしまった。
 車まで莫迦にしやがって、爆発、炎上しようがどうしようが、とにかく走らせてみせるぞ、このポンコツめ。独り言をいいながらエンジンを再始動し、アクセルを乱暴に踏み込んだ途端、車は轟音を上げて走り出した。及川はハンドル操作しながら、左右を視認して車道に出た直後にきづいた。そういえば、アクセルを踏み込む前にクラッチに触れもしなかったな。マニュアル車なのにオートマティック車と同じような振る舞い―― まるで、この車は俺の意思を読み取ったようではないか。
 そう想うと同時に、及川は背筋にゾクっとする戦慄が走るのを感じて仰け反り、ハンドルを握る両手がブルブル慄えているのに気づいて怖気を慄った。片手運転しながらダッシュボードを開け、煙草を取り出して口に咥えると火を點けた。
 騒々しくごみごみした街路を抜け、郊外にさしかかってから、車を路側帯に停めて行く先を地図で確認する。地図そのものが古ぼけている所為か、目指すインチキ教祖の屋敷が視つからない。なんでも、北の方向目指して行って、古色蒼然たる綠青の浮いた銅板―― そいつが道端に建っているはずだから、その標識を探せとのご託宣だった。
 相変わらず天空には龍がとぐろを巻いたような、薄気味悪い雲が厚く垂れ込め、今にも稲妻が走って土砂降りになりそうだった。なんとか方角を定め、及川は車の不機嫌そうなエンジン音を聴きながら、郊外を走る砂利道からさらに整地の悪い脇道へと車を乗り入れた。
 ダッシュボードを引っかき回し、好みに合いそうな音楽C D を探した。どれもこれも府抜けたような音楽ばかり―― そう想いながら手にしたC D のタイトルを視て、及川はオーッと喊声を上げた。それは、学生時代に同室者らと聴いた、昔懐かしい『メタル・マスター』なる、ロック界で異彩を放つスラッシュメタルの勇、メタリカのアルバムだった。ヴォーカリスト兼ギタリストの雄叫びが車内にガンガン反響した。
 「オベイ・ユア・マスター」なる歌詞が繰り返し繰り返し、及川の耳に跳び込んでくる。マスターとは、一体ぜんたい如何なる存在か―― 此処でいうマスターは単なる主人ではない。絶対服従を強制する厳格、過酷な権力を振りかざす悪の権化に他ならない―― 及川の独断と偏見に満ちた解釈ではそういう意味になる。
 神様の姿はどんなだろう―― まだ独自の考えも持たない小学生時代、及川は反り返って仰いだ青空に、柔和な表情のほとけ様を想い描いたものだった。その後、興味の赴くままに読んだ数冊の書籍から、この世は善だけで成り立っているのではないことを知って、暗澹たる気持ちになった。
 たしかに、現世では人によって、善意を曲げて解釈したり、敵対心を抱いたりもする。善意だけの世界なら、悪意などといった対立する概念の出る幕はない。実際には、世界の何処かで生存をかけて絶え間なく闘いが繰り広げられている。殺人が日常茶飯事の世界―― それが現世の実体だろう。
 道路の両側に生える巨木が、拗(ねじ)くれ節くれ立った枝を延ばして日光を遮り、それでなくても昼なお暗い山道を尚のこと暗くしていた。いきなり野生の鹿やら小動物が跳び出してきたら、及川の未熟な運転技量ではとても躱(かわ)せない。
 ビクつきながら運転すること数十分、やがて、銅板を打ち付けた標識らしいものが視つかり、車をあやすようにしながらその傍に停めた。ギシギシと耳障りな音をたてる車のドアに体重をかけて開け、標識に近寄っていって怪しげな書体の文字を眺めた。銅板に刻印した奇妙な文字―― それには、「無名聚落、大字過疎邑(かそむら)まであと5 分」とあった。眼を凝らしてよく視ないと、読み取れないほど古色蒼然とした、何時の時代とも知れない銅板だった。
 それからどのくらいの間、ハンドルを握っていただろうか。標識には確か、「あと5 分」とか表示してあったのに―― そう想った直後、車がなんの予告もなく停止してしまった。
 ガソリンを満タンにしておいてこのざまあ、ポンコツめが勝手にストライキを起こすとは忌々しいなどと、ぶつくさ言いながら、それでも意を決してショルダーバッグを肩に架け、軋み音を立てるドアに体当たりを喰らわせて開けた。一陣の風が樹間を過(よ)ぎって枝を震わせ、樹木同士が恰も囁き交わすかのようなゾクっとくる妖しい音を山間に響かせた。
 根が臆病な及川は眼を瞠り、肩いからせて虚勢を張ると、デカい図体を少しでも小さく視せようとしながら歩き出した。何から逃げようというのか、大柄な及川がいくら身体を屈めようと、野生の肉食動物なら忽ちにして及川を嗅ぎ分けるだろうに。及川はできるなら、この場から逃げ出してしまって何処へか隠れていたかった。そんな調子だから営業成績が上がらず、万年最下位の体たらくなのに―― 。
 何かが、及川の頭上を風を切って通り過ぎた。その音に驚いた及川は、首を竦(すく)め身体を屈めると、飛び去ったものの正体を視極めようとした。樹間をうねりくねりながら奥へと続く山道を歩く中に、進行を妨げるように延びてきた枝に一羽の梟が止まり、金色に輝く眼球を及川の方に向けてホーホっホーホっと啼いた。何も恐れることはない、わたしに随いておいでなさいとでも言ってるらしい、梟のその啼き声は及川を勇気づけた。
 及川が歩いて行くにしたがって、その梟は枝から枝へと飛び移りながら道案内を務めてくれ、いつの間にか目指す教祖の邸宅の門前に辿り着いた。気がついたら、樹間から煌々と照った月が顔を出し、辺りに黄昏時の明るさを齎らしていた。
 呆然と佇んでいた及川が、傍に人の気配を感じて振り向くと、眼を金色に輝かせた若い女が巫女の形(なり)をして微笑んでいた。学生だった頃、少しのあいだ交際(つきあ)っていた井上顕子によくている―― そう想いながら記憶を辿る中に、顕子が突然病死したのを憶い出して全身に戦慄が走った。巫女はそんな及川の臆病さ加減を、笑うかのように皮肉の籠もった笑顔を向けると、中へと及川を導いた。
 邸宅は住居というよりも、外国の寺院に近い造りの建物だった。入り口から内部へと入って行った及川は、天空を突き抜けるかのように、遙か彼方にある天井を視上げて眩暈を起こしてしまった。ひょっとすると、天蓋のない柱だけの遺跡なのではないか―― ならば、天井などというものはなく、星々が視えてしかるべきだが、そのような煌めきは何処にも視つからない。

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