目を覚ませば、生きなければならない。生きているから目を覚ます。
そんな事は、もう5分寝たいという朝の衝動に比べれば無駄な思案だ。
朝起きて、準備をして外に出る。それを繰り返し繰り返す。いつからか、それを毎日の当たり前として繰り返す。

今日も朝から仕事。明らかに定員を超える人で溢れる電車に揺られ出社する。
「おはようございます〜!」
そう挨拶すると、軽く会釈する上司と挨拶を返す同僚と先輩。
いつもの景色だ。
私はこの会社に入って2年目に入らないぐらいの若手。入社したての頃は分からないことだらけだったが、いつの間にやらそれなりに仕事には慣れてきたつもりだ。
自分のデスクに鞄を置き、朝9時になると仕事を始める。

「住岡さん、ちょっと」
そう上司に呼ばれ、上司の元へ行く。
「昨日出してもらった書類だけど、あれ何?」
この上司はえらく遠回しに物事を伝えてくる。
私は首をかしげた。
「間違いが多すぎるよ、ちゃんとしてもらわないと困る」
呆れた表情で言う。
「すみませんでした。」
そう謝ると上司は少しの間を置き、
「あのね、仕事なんだよ?責任とプライド持ってやってくれるかな。それぐらい常識だろ」

呆れた表情から怒った表情に変わり、職場は静寂の中でパソコンのキーボードを打つ音だけが流れる。
「はい、すみませんでした。」
再度謝り、頭を下げた。
「これ訂正しといて」
また呆れた表情に戻り、書類を私に突き出すように渡した。
今日は朝から憂鬱だなぁとミスをした自分を責めるように仕事をはじめた。

仕事が終わり、少し下を向くサラリーマンが並ぶ駅のホームに続いて、同じように並んでいた。
「私は出来の悪いアホだ。」
小声で呟いた。サラリーマンはそれぞれ、溜息に似た息を漏らしていた。
このまま駅のホームに飛び込みたいぐらいだという半ば投げやりになった感情を抑えながら、電車に乗り込み家に帰った。

私は帰るといつものように、ご飯を食べお風呂に入り、寝る準備をする。
寝る前には日記を書くことにしている。

<今日は朝から上司の谷村さんに怒られた。同じミスを何回する気だって。何回やっても出来ない私は出来の悪いアホです。こんなにも弱い自分が嫌いです。>

そんな事を書いている隣では、テレビのニュースが流れている。そこでは「◯◯国の大統領は、独裁的政策を続け経済は不安になっている」とか「今日、大阪府でホームで何者かに背中を押された女性が電車に轢かれ死亡」とか言っている。
今日も世界のあちらこちらで、毎日同じ類の同じでないニュースが世間を騒がしている。

そんなテレビの電源を消し、眠りについた。

突然だが、私は死んだ。
正確には死んだ「らしい」。

今朝、いつも通り起きて出社し、怒られることも無く仕事を終え帰り寝る前に日記を書きながらニュースを見ていると

<昨夜、ホームで何者かに押され電車に轢かれ女性が亡くなった事件で、警察の調べによると、住岡亜希さん23歳である事が判明。防犯カメラの映像によると、犯人は忽然と姿を消したようです>

私は息を飲んだ。私は死んだらしい。
それと同時に同姓同名の人なのかと疑った。
それとも聞き間違えか?
心にもやもやを残したままベッドに横になった。

私の特技はすぐに寝る事だ。
だがしかし、今夜は何故か寝ることが出来ない。
いつもなら、何があっても寝る事はすぐに出来た。
今夜は妙な胸騒ぎが体を支配している。

心を落ち着かせようと、散歩に行く事にした。
この一人暮らしをしているマンションから出ると、近くに川が流れており府内とは思えないようなのどかさがある。
そんな川沿いの道を空を少し見上げながら歩いた。

この道はあまり人通りも無く、静かに流れる川の音だけが少し聴こえる。
「私は死んだのかなぁ 」
と不意に呟くと
「ハハハッ」と笑う声が聞こえた。
私は恐怖に駆られた。
恐怖を振り切ろうと後ろを振り向いたが、誰もいない。いつの日かテレビで見たホラー映画見たいな展開だ。
後ろを振り向くと前を見るのも怖くなってきたから、そのまま来た道を戻った。

この道は怖いと思い川沿いの道を外れ、駅の近くの道に出た。
するとタクシーが止まっていて、そのタクシーの側で運転手がタバコを吸いながら、客を待っていた。
運転手は何かに怯える私を見て、
「大丈夫ですか?」
と声をかけてきた。

私は、何かに追われるような怯えた気持ちを片手に、声かけてくるということは生きているんだと少し安堵した。
「大丈夫です」
と少し答え帰ろうとした。

すると運転手は
「あなたは死んでいるのですか?」
と私に問う。
私は不気味なこの運転手の言葉に驚きと胸騒ぎに体を硬直させた。
そんな私を見て運転手は少しの優しさを含んだ微笑みで
「私の声が聞こえると言うことは、姿が見えるということはそういう事なのかもしれませんね」
と言う。

私は「死」という現実を突きつけられた。
しかし、人間はそんな簡単な構造ではないからか、受け入れられないまま涙を流した。
驚きのまま涙を流している私を尚も優しさを含んだ微笑みで見ている。

運転手は続けて
「まぁそんなすぐ受け入れられないですよねぇ」
と、言う。
そりゃそうだ、死ぬってどういう事すら分からないのに。
私が「死」というのを感じたのは昔飼ってたハムスターが死んだ時と、おばあちゃんが死んだ時だけだ。
まさか自分が死ぬとは到底考えの及ばぬ所である。

そんな事をぐだぐだと考えている私に、タクシーの運転手は意味不明なことを言った
「どうです、乗りませんか?受け入れるのはそれからでも遅くありませんよ」

乗ってどうなるのだろうか、結局死んでようが死んでまいがタクシーはタクシーな訳で、昔DVDで見た某タイムスリップ映画じゃあるまいし。

そんな冷静な考えが巡ってること自体、この状況からすれば映画みたいな話だが、迷った。
それと同時に口を開いた私は
「乗ったらどうなるの?」
と聞いた。
「こちらの世界で言うところの、あの世へご案内するとでもいいましょうか。どちらにせよここに居ても魂と肉体があるだけで、認識される事はありませんから。」

私に選択肢は無いのだ。
死んでいるという現実が正しいにせよ、間違いにせよ、それを実証する手段は無いし、ここに居てもそのうちにお葬式が始まるだけな気もしている。

「乗るわ。」
私は短く答えると、運転手はまた優しさを持つ微笑みで軽く頷き
「では、参りましょうか」
と言い、車に乗り込んだ。

心配を残しつつ変に緊張や恐怖を解かれたからか、私は眠くなってきた。
そうだ、きっとこれは夢だ、夢なんだ。
そう言い聞かせるように眠った。