【立ち止まって振り向いて、】




 築年数がわたしの年齢と同じくらいの木造アパート。一階、103号室のピンポンを鳴らして少し待つと、チェーンを付けたままの扉が控えめに開いた。

 僅かな隙間から様子を窺うように顔を出した野島さんは、わたしを見るなり固まってしまった。

「こんばんは。お疲れ様です、野島さん」

「……、……訪問販売はお断りだけど」

「販売なんてしませんよ」

「じゃあなに、今日、せっかく煎れてくれたお茶を、一口も飲まないままひっくり返しちゃったから、仕返しに来た?」

「いえいえ」

「じゃああれか、この前飲みに行ったとき酔って下ネタ連発しちゃったから、セクハラで裁判起こす?」

「裁判も起こしませんよ」

「来る場所、間違ってない?」

「どちらかと言うと、間違ってると思います」

「……なにこの子、何が目的なの? 今どきの若い子こわ……どうしよ、めっちゃこわい……」

「野島さん、心の声がだだ漏れですよ」

 同じ会社の先輩である野島さんの自宅アパートを訪ねるのは、これが初めてのことだった。
 普段は課長としてみんなを取りまとめ、的確な指示をして、自信たっぷりの姿を見せる先輩も、仕事が終わればただの人。特に女性関係がめっぽう弱く、途端に小さくなってしまう。あとお酒にも弱い。
 今だってそう。急に訪ねて来たわたしを完全に警戒して、決してチェーンを外そうとしない。むしろ今にも扉が閉まってしまいそうだ。


「あのー、葵ちゃんね、こんな時間に女性がひとりで男の部屋に来ちゃだめ、分かる? こんな時間に女性がひとりで男の部屋に来るってことは、つまり何をされてもオールオーケーってことなの、分かる?」

「しませんよ」

「……なんなのこの子、全っ然帰らないんだけど……何が目的なの? こわ……めっちゃこわ……今戦闘中なのに、大事な場面なのに……居留守使えば良かったわ……」

「ピザ持って来たんですが、一緒に食べません?」

「……葵ちゃんさあ、持ってく相手間違ってない?」

「どちらかと言うと間違ってますね」

 心の声がだだ漏れで、警戒心しかない先輩をどうにかこうにか説得して、部屋の中に入る。
 間接照明とパソコンの灯りのみ、という、目に悪そうな部屋だった。

 とりあえず電気をつけ、お茶やら座布団やらを用意しようとする野島さんを止め、パソコンの前に座らせる。
 わたしが来るまで、パソコンでオンラインゲームをしていたらしいし、それを中断させてしまったらしいし、早くプレイを再開してもらわないと、パーティーを組んでいる相手に悪い。