「…エルティーナ様。何を怒っていらっしゃるのですか?」

 アレンは、真綿で包み込むような甘く痺れる声で、エルティーナに話しかけてくる。

「………」

 何を怒っているだと!! 自分の胸に聞いてほしい!! 毎回毎回、とびっきり美人な未亡人といちゃいちゃいちゃいちゃ。

 数日前、ある伯爵夫人のお茶会に参加したおり。見たくもないが、豪華なドレスから生々しい足をみせ、喘いている伯爵夫人を発見した。
 昼間に響くピチャピチャと淫らな水音が気になり、肉眼だけでは飽き足らず不思議がる侍女に「鳥をみたいから」と嘘をつき双眼鏡を拝借し彼らの行為を隅々まで見た。
 アレンの男らしい長い指は、伯爵夫人の股間を撫でくりまわしいた。その気持ち良さげな喘ぎ声が憎い。
 思い出すだけで、怒りが再熱。腹が立つ。エルティーナの気持ちも知らないで。話していないからこそ知らないのは当たり前であるが、怒りから顔が赤くなる。


「………エル様…?…」

 アレンは、困った顔でエルティーナの家族以外は口にしない特別な名前を突如呼ぶ。

「うっ」

 そんな神がかった超絶麗しい顔で、極上の甘い声で、「エル様」と呼ばないでほしい。


「…ふんつ。お…怒ってはいないわ。…少し…気分がすぐれないだけ…それだ…け…よ」

「えっ!? 座っていて大丈夫ですか!? すぐ横になってください。侍女を呼びにいきます! あと医者もです!!」

「うぎやぁぁぁ」と内心でエルティーナは叫ぶ。

「ま、まって。アレン、まって。大丈夫よ!! もうすぐ舞踏会も始まりますし」

 何よ!もうやめて!と叫びたい。父も母も兄もエルティーナには基本甘々。しかしアレンほどではない。本当に……。

 (「って顔を近づけないで!!」)

 アレンは距離感が近い。流石色男である。麗しく端正に磨き上げられた彫像のような綺麗な顔を、もの凄く近くに寄せてくるのは、エルティーナの心臓に毎度 負荷をかけてくる。

 普通の顔。普通の顔。とエルティーナは脳内で言霊を唱えた。


「…エル様。本当に大丈夫ですか? 身体を壊してまで舞踏会に出る必要はございません」

 甘く響くバリトンの声。エルティーナの顔を見る為に腰を曲げたその時。アレンのたっぷりとし、さらさらの銀糸の髪が肩をすべり落ちる。
 仕草の一つ一つが絵画の中の世界のようで、見惚れてしまう。
 エルティーナはどれだけ長く同じ時を過ごしていても、アレンと話すとすぐに意識が飛ぶ。

「ふふふ。アレンは、本当にいつも大袈裟ね。私の旦那様を見つけるための舞踏会ですもの。行かない…なんて言えないわ。
 それにね、早く見つけなくては。私はだいぶ行き遅れていますしね!!」

 できるだけ明るく冗談ぽく演技で話す。王女として培われた技術。

 これはエルティーナの最大の武器だった。
 父にも母にも兄にだって、ばれた事のない演技。 何でも普通以上にこなせるエルティーナ。でも特別は何一つない。普通以上止まり。
 これが私エルティーナだ。


 モテない自分を自分自身で貶すのはつらい。これ以上この話はしたくないエルティーナは、アレンが何か話しだす前に話しを変える。

 今だから聞こうと何故か思い、いつも気になっているアレンの事情を、さらっと世間話のように聞いてみる。

 私って本当にすごいわ。この演技! この技術!!と自画自賛も忘れない。


「アレン」
「はい」

「アレンは、そのーなぜ結婚しないの? だって貴方、二十八歳よね? お兄様と同じ歳だったわよね。お兄様はもう結婚して、子供もいるわ。王太子だから跡継ぎの問題とか…。かなりうるさく言われていたわ。お兄様も…遅いくらい? …だと私だって思ったのよ。
 …アレンも長子だし跡継ぎとか…必要ではないの?」

 言ってしまった。言ってしまった。脳内でリプレイ。これ以上ないほどのディープな話しを…。でも明るく言ったので大丈夫だと自分に言い聞かせた。

 気持ちは恐々。でも表面は、さらっと今気付いたように振る舞う。ドキドキと脈打つ心臓を知らないふりをしながら、静かに答えを待つ。


「私は、エル様が嫁がれるまで結婚は致しません。エル様もご存知のように、私は病持ちです。我が侯爵家は弟が継ぎますので、心配ございません」

 淡々と。まるで当たり前のように。

 あまりの言葉にエルティーナは、息をのみ言葉につまる。

 病持ち。今のアレンを見て、病持ちだと誰が思うのだろう。
 ただ、アレンの見た目が他の人と違うのは、アレンの幼少時代の薬づけの毎日から。
 白皙の肌も銀色の髪も、近くによると甘い香りがするのも。神々しく美しい姿の裏には、長くは生きる事はできないと言われていた理由があったから……。


 しかしアレンの言う…「ご存知のように」はエルティーナとで大きく違う……。
 アレンは病持ちの事を、エルティーナの父から聞いたと思っている。
 でも、違う! 違うのだ!! アレンは忘れ覚えてないが、エルティーナは十一年前にアレンに会っていた。

 決して言わない。絶対に言えない。
 それは、…まぁ……いい。昔に会ったことは秘密だ。相手が全く覚えていないのに、「私を覚えてる?」と聞けるほどエルティーナの心臓は強くない。それよりも別に引っかかる言葉があった。


「アレン。私が、嫁ぐまでって結婚しないって、本気だったの?」

 子供の頃に聞いた事を忘れていたわけではない。でもあれはエルティーナが兄の結婚が決まって、大好きな兄をとられる気がして泣き喚いたから…その場の慰めだけに発言した台詞かと思っていた。


「はい。私は嘘は申しませんが」と柔らかいうっとりする、笑顔で言う。
 アレンに笑顔を向けられると、それだけでじわっと蜜穴が潤い、薄い下着が秘部に張り付き、着心地が低下し股を擦り合わせてしまう。変態一歩手前だ。


「……もう、そんな事を言って。私が一生結婚できなかったら、アレンはずっーと私の御守りをする事になるのよ!」

 バッカじゃないの。と気持ちをこめてエルティーナは言う。バカバカしい気持ちと投げやりな言葉に返ってきたのは、ひどく真剣な声だった。

「もちろん、そのつもりです」
「えっ!?」

 迷わず、即答するアレンが全く分からない。
 何を考えているか、本当に意味がわからない。
 エルティーナがアレンの言葉に絶句してると。


「失礼いたします」

 と侍女頭のナシルが部屋に入ってきた。舞踏会が始まる時間。
 エルティーナの最後の用意をするべく、ナシルが数人の侍女を連れて入室してきた。

 王女付きの侍女は、侍女の中でも教養のトップクラス。
 のはずだが…、アレンの姿が視界に少し入るだけで顔、耳どころではなく、首あたりまで真っ赤。

「分かるわ〜」とエルティーナが思っていると。アレンは、何も言わず、軍記の冊子に載っている堅苦しい手本のような礼をし、何事もなく去って行く。本当に何も言わず。

 特別大事にされているのは…わかる。その特別は無論、愛や恋でない。
 主君である国王の命令を守るという騎士の精神からくる特別。


(「…アレン……。
 私では、駄目?? 遊ぶのも嫌?? 私は貴方に遊ばれ…たい……のに……。
 …護るべき主君、そんな特別はいらない…
 貴方の沢山の恋人の内の一人になりたい……。
 絶対、お父様にも、お母様にも、お兄様にも言わないから。
 絶対言わないから。一度だけでいいから…。貴方アレンと一夜を過ごしてみたい……」)


 エルティーナはそんなことを思う自分が、ひどく汚く思った。
 消化しきれない想いは、もうはち切れる寸前まで膨れ上がっていた。